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それは本当に、あなたに必要な子育て情報?

初めてママになったころ。
子育ては「見るとやるのは大違い」で、自分の無力さにほとほと嫌気がさしたのを覚えている。
病院や市からの配布物や「ひよこくらぶ」を読んでも思い通りにはいかない。人生でこんなに自信を無くす体験をしたのは初めてだった。

教科書通りにいかない。
そりゃそうだ。
子どもはひとりひとり個性を持っている。
テンプレートどおりにいくはずがない。
今考えたらそんなの当たり前なのだけれど、当時は全て親である自分の無力さがゆえと、自己肯定感はどんどん落ちていった。「こんな母親のもとに生まれてきて、この子は可哀そう」とさえ思う日もあった。

そのうち、育児関連本を開くのは億劫になり、お友達の「上手な子育て」を真似ることのほうが多くなった。
それでも「自分だけのオリジナルの子育て」には自信が持てず、やはり「きちんとした情報」に触れていない自分は何かが足りていない気がしていた。

そんなころ、友人が「私、子育て本は読まないんだー。しんどくなるから」と言った。
その言葉にとても救われたのを覚えている。
そうか、読まなくていいよね!(←単純)しんどくなるもんね!
と全力で同意し、興味がわいた時やどうしても欲しい情報があるとき以外、育児本は読まなくなった。

幸い、周囲は私以上に子育てが上手な友人が多かった。
いつもそこからつまみ食いし、自分自身の中にある「人として大切にしたいこと」と照らし合わせて子育てをしてきた。

それでも、心を大きくざわつかせる情報やアドバイスは意図せずとも飛び込んできた。
自分が良いと思ってきたことを根幹から揺るがすような。
しかもその発生源が教育者の言葉だったり、子どもを指導する立場の人だったり、身内だったりするから、そこに善意しかなかったとしても、まだまだ脆い土台しか持っていない私は、ずいぶん惑わされた。

でも、今はこう思う。
子どもは本当にひとりひとり違うし、親である自分自身も他と同じであるはずがない。
価値観もさまざまだ。
つまり、誰かが正解を持っているわけではない
ましてやガチで子育てしてきたのかどうかも怪しい人が、その肩書のパワーで心もとない子育て論を発していたりする。

その上、最終的には誰も責任はとってくれない。
その子育て論を採用して、どのような結果が出たとしても、責任をとるのは他でもない親自身だ。

だからそれらに対しては「話半分」で聞いたら良いと思う 。
もちろん私のこの文章も、「話半分」で読めばいいのだ。

いろいろな情報に心揺さぶられ傷つき、それでも何とかここまでやってきた私が確信しているのはたったひとつ。
子どもは親が予想している以上の力を持って成長していくということ。
親は、子育てノウハウ以前に、その子どもの力を信じることが大切なんじゃなかろうか。
そうすれば、子育てはなんとかなるんじゃなかろうか。

子育てに対するアドバイスは、それが誰からのものであっても、ちゃんと「自分の頭のフィルター」に通した方がいいと思う。
それは本当に自分たちに必要なことなのか。
一度深呼吸して。
子どもの傍にいるのは、私たちなのだから。

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