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【開催レポート】 BOOK CLUB 『「自由」はいかに可能か』

初の哲学書での読書会でした。少人数の開催となりましたが、2時間充実した話し合いができました。

「自由」の本質

まず初めに、苫野さんの考える「自由」の本質=「規定性の中にあって、なお規定されていないと感じること」、「できるだけ納得して、さらにできるなら満足して、『生きたいように生きられている』という実感のこと」について納得できるか、という質問を参加者の方に伺いました。

納得できるという意見が多く、僕たちが普段何となく考えていることを、このように厳密に言語化することで、自由について考えるきっかけになったという意見が挙がりました。

自由の相互承認

しかし、その一方で「自由の相互承認」は具体的にどのように行えばいいのか、という疑問が多く挙がりました。

例えば、部活をやりたい教員とやりたくない教員が、互いの意見を交換する場合、どうしても対立の構造になりやすく、妥協点を見いだすのが難しいということがあります。

苫野さんは「互いの『自由』のあり方を調整し合うこと」と言っていますが、そもそも「自由」を、生きることの大目標に置いていない人、「自由」よりも「協調」や「安全」に意識が向いている人とは、意見交換しても、対立的になるだけでは、という意見が挙がりました。
(意見を主張しても、単なる「わがまま」と捉えられるおそれがある、ということです。)

主催者の感想

主催としては、本を読み、読書会をすることで、「自由」について考え、自分を規定しているもの(それは自分の外側だけでなく、内側にもあります)について、より深く自覚できたと思います。そして、それにより、ではどうすれば「自由」を実感できるのか、というふうに考えを進めることができました。

ですが、その「自由」を現実の社会で「相互承認」することには、まだまだ課題があるようです。対立を生まずに、どのように「自由の相互承認」をしていけるか、引き続き考えていきたいです。

参加者の振り返りのなかに、「哲学書を読むことは、一つの思考停止かもしれない。なぜなら原理と言った時点で考えることをやめてしまう人がいるから」というのがありました。本当にその通りです。何か一つの原理に頼ることなく、考え続けていきたいですね。

参加者のみなさん、本当にありがとうございました。

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