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〈レポート〉 10代とも話せた!衆議院選挙イブ企画・朗読をきいてシチズンシップをゆるっと語ろう

2021年衆議院選挙イブ(前日)の10月30日に、「『シチズンシップのトリセツ』を聞いてゆるっと語ろう」が開かれました。

書籍『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』(三恵社)(以下、きみトリ)の「シチズンシップのトリセツ」の筆者であり、このワークショップのファシリテーターの舟之川聖子さんが朗読し、参加者でトークするというイベントです。ここではその様子を、ライターの高木絢が参加者の一人としてレポートしていきます。

開催にあたっての思い

今回の場には2つの思いがありました。

1. 翌日に衆院選を控えた今だからこそ、10代の人たちも交えて、選挙や政治について、「わたしにとってのシチズンシップ」という切り口から語りたい。
2.  選挙や政治という普段あまり話題にしないかもしれないテーマも、『きみトリ』のテキストを使うことで話しやすくなる、その活用例を実際に示したい。

選挙や政治って、なんとなく語りづらくない?
わたしたちの暮らしにどうかかわっているの?
「シチズンシップ」「主権者」って、言葉は聞くけどよくわからない!

そんなことを少人数でゆるっと話せたら。
「そんなことも知らないの?」と言われることもなく、間違いを指摘されることに怯えることもなく、安心して語りあえたら。「意見」のもっと手前の、「まとまらない感想」から話したい。

そして、会が終わったときに、なんかいい話ができたな〜と思えたり、納得して投票に行けたり、関心を持って投票結果を見守れたり、いつもとはちょっと少し違う気持ちで投開票日を迎えてもらえたら。

また、本を通じて対話した経験を、参加された方の日々の学びや対話の場づくりの参考にしていただけたら。

そんな思いを込めての開催でした。

対話の場

タイムスケジュール

ワークショップでは、『きみトリ』の一番最後におさめられた「シチズンシップのトリセツ」の全15ページを3回にわけて朗読し、それを聴いて感じたり思ったりしたことを自由に話しました。違和感ももちろんOKです。他の人は、批判や押し付けはせずに耳を傾け、また他の人の感想を受けて、自然と湧いてきたことを話しました。

・ファシリテーター自己紹介、開催の思い(5分)
・自己紹介(呼ばれたい名前、参加のきっかけなど)(6分)
・朗読(8分)⇨トークタイム①(15分)
・朗読(8分)⇨トークタイム②(15分)
・朗読(8分)⇨トークタイム③&今日の感想(25分)【計90分】

参加してくださった方々

今回は、小学生、子育て中の人、オランダ在住経験者、元社会科教員、元オルタナティブスクール教員、算数教室の運営者、対話ファシリテーター、ライター、編集者などが参加しました。教育に携わる方が多くいました。

嬉しかったのは小学4年生も参加してくれたことです。大人ばかりで話しづらいかと思ったのですが、彼は朗読を聞きながら「え〜」とか「これ知ってる、○○みたいなことでしょ」と呟き、それをお母さんが(ご本人了解のもとで)シェアするという斬新な形で参加しました。それだけで十分に彼の気持ちが動いたところや、普段感じていることが随分と生々しく伝わってきたことには驚きました。この「呟き参加」とも言うべき方法の発明は、このワークショップの大きな収穫の一つでした。

また、参加のきっかけを聞くと、普段は政治について語ることにプレッシャーや難しさを感じいるものの、大切なことだから関心があるし、話してみたいという声が聞かれました。

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トーク内容

朗読を聞いて、まずは思い出したり、率直な感情、へぇと思った箇所など、起きた反応をぽつりぽつりと出しあいます。そして、パートナーシップ、ストライキ、学校、家父長制などへとトークのテーマは様々に広がりました。最後は、朗読箇所についての感想を話しながら、緩やかに収束しました。

ここからは、各トークの内容をご紹介します。
初対面の参加者たちのたった90分間の語りのなかで、その場に自然と大きなテーマが立ち現れていく臨場感と、それぞれの内側での自己対話が呼応しあって生まれた熱量をなるべくリアルに感じていただけたらなと思い、あえてあまりカットせずに書きました。長文になりましたが、よかったらお付き合いください。では、始まります。

トーク① 
本文小見出し:シチズンシップとは/批判と抵抗/声を上げる10代

●本文で紹介された事例から、自分自身も制服のスカートが嫌だったことや、自分が教員をしていた県で、一人の高校生の訴えから男の子が制服のスカートを着られるようになったことを思い出した。

●「社会に出る」という言い方はおかしい。10代までは社会に”いない”ことになってしまう。人は生まれた時から本番。

●小学生の呟き
▷10代のあなたは、今ある社会に適応するだけでなく、社会を作っていく存在でもあります。(本文220ページ)
⇨「え〜!」
▷「18歳になって投票できるようになるまで(政治や社会は)自分と関係がないのでは?」と思う人もいるかもしれませんが、そうではありません。10代のあなたも、この日本の社会の市民です。(本文221ページ)
⇨「え〜!」

トーク② 
本文小見出し:年齢差別と子ども差別/『社会に出る』のではなく、すでにいる/シチズンシップ教育とは

●教育を学びに行ったオランダでは、教員ストライキが文化として定着していた。会場は競馬場で、”We will rock you”という曲をBGMに野外フェスのような雰囲気で、カジュアルに参加できた(写真参照)。政治について、本質的なことをオープンに話せる土壌があった。でも日本では、政治について間違ったことを言えないというプレッシャーで話しづらい。

オランダのストライキ

オランダ・フローニンゲン市のストライキ会場の様子(2017年 参加者提供)

●日本の教員はストライキが全面禁止されている。それが自分の教員時代の閉塞感と繋がっていると感じた。

●以前勤めたオルタナティブスクールでは、ルールは子どもたちが話し合って決めていた。シチズンシップを育てる教育というのは、社会の授業がどうというサイズの話ではない。学校が、子どもたちが大人(教員)たちと同じように権利をもった対等な存在として尊重されている場、みんなが民主的に意見を言ったり決めたり学んだりする場になれているかだと思う。

●「教えない算数教室」を運営していて、大人も子どもも「教えられたもの」は忘れてしまう一方で、「自分の内側から出たもの」は血肉になって残ると感じている。算数もルールも政治も同じだと思う。

●小学生の呟き
▷年齢差別とは、「年齢が高いか低いか」「自分より上か下か」によって言葉遣いや態度を変えたり、何歳の人なら当然こういう経験をしているだろうと、といった思い込みで接することです。(本文225ページ)
⇨「あ、知ってる。年上だから威張るとかでしょ?」
▷また子ども差別とは、子どもを未熟で劣った存在とみなして、対等に接しないことです。(中略)しかし、大人がそうやって子どもを扱うのは間違った態度だと、わたしは考えています。(本文225〜226ページ)
⇨「俺も。」
▷子どもは、いつかどこかのポイントで「社会に出る」わけではなく、すでに「社会にいる」のだとわたしは考えています。(本文227ページ)
⇨「いるんだぁ。」
▷多数決は少数派が困っている問題には適さないこともある。(参加者の意見)
⇨俺も多数決、嫌い。多くなかった人の意見が大切にされなくてイヤ。

メモ


トーク③ & 今日の感想
本文小見出し:社会を学ぼう、学びを求めよう/だれでもやっておこう/大きな社会に参加するには/大人たちも声をあげている/最後に

●#me too(ミートゥー)運動のことを聞いて、街ですれ違う男性にぶつかられたり、舌打ちされるのが辛いと話したら、家族は「世の中のオジサンみんなを変えるのは無理でしょ」「気にしないのが一番」という反応で傷ついたことが蘇った。ジェンダーにかかわることはもう絶対話したくないと思った。SNSなどで強い言葉が飛び交う政治も、どこか似ている気がする。平和に安全に対話するボキャブラリーがまだ十分にないのかもしれない。

●ドキュメンタリー映画『MINAMATA ーミナマター』を観て、痛みや恐れの感情は、魂に直結していて、世界を変える大きな可能性や力を持つと思った。魂をこめて生きよう、魂の声が響く自分であろうと思った。

●ファシリテーターの嘘をつかないあり方に心打たれた。小学生で選挙の仕組みを知ったときの憤りを思い出した。そして、海外から日本に帰ると、政治についてすごく語りづらくて、4年くらい扱えずにきたことも思い出した。自分の中で色々な歴史が繋がったし、未来に繋がれた。

●政治について語ろうとすると、途端に声を出しづらくなる感覚は、自分の中で「わかってないのに」と言われる恐れや、家父長制の問題と繋がっていたんだと気づいた。家父長制には、「すごく洗練された方法で、女の人の声を摘んでいく」という面があると思う。

●政治について語ったり、意見を表に出すことは、これまでに意識的にも無意識的にも自由な発言を抑えつけられたり、尊厳や権利を奪われてきた人にとっては、痛みや恐れに向き合うつらい行為なのかもしれない。こうして安心して、身体が緩んだ状態でことばにしていける場が大切なんだと思った。

●自分の声を社会に反映させるために、社会のリソースを使うには練習が必要。シチズンシップの発揮は急にできることじゃない。大人は子どものシチズンシップを育てるのが大事なしごとだと思う。

最後に、ファシリテーターの舟之川さんからもふりかえりがありました。「自分の書いたものを自分で朗読し、皆さんに聴いてもらい、感想を交換している時間は、深い海にダイブしたような感覚でした。告知文にも魂を込めたし、小さな場でしたがつくるときも工夫を凝らしました。こうして事前に準備をしておくと、深く潜っても場の底が抜けないというか、安心して進行できるし、皆さんも安心してお話いただけるんだなと実感しました。企画してみて、本当によかったです。」


本と社会

おわりに

以上、お付き合い下さり、ありがとうございました。レポートを書いてみて、トークが進むにつれて、対話が深まっていく過程がよくわかりました。

トーク① 
 自分個人の中に起きた小さな反応がぽつぽつと言葉になる。
トーク② 
 ほかの人が言ったことに、へぇっ!と連鎖反応が出る。
トーク③ 
 本人もこの場に出すつもりはなかった、忘れていたようなテーマが表に出てくる。

いきなり「政治やシチズンシップについて語ろう」と場をつくっても、ハードルが高く感じるかもしれません。しかし、本を朗読するというという出発点があると、ずいぶんと話しやすくなり、こうして対話が深まるという体験を今回はできました。

朗読されるテキストや、そこにいる他者の言葉に引き出されて自己の内面から出てくる言葉には重みがありました。自分の言葉が口先ではなく、もっと奥底から出てきている感覚がありました。そして、その言葉たちは傷つくことを恐れて奥にしまわれて、それでも語られることを待っていた何かでした。だからこそ、外に出てきたときに瑞々しく、パワーに満ち溢れていました。

「あぁ、私たちがなぜか政治について語れないのは、無関心だからではなかったんだ。本音を言ってもう傷つきたくないとどこかで思っていたからなんだ。それには子どものころからの長い積み重ねがあったんだ。」という発見がありました。

もしよかったら、この記事を読んでくださったあなたも『きみトリ』をつかって語りあうことを試してみてください。いろいろな方法や可能性があると思います。そして、もし素敵なアイデアが湧いたり、やってみてこんなことが起きたとか、やってみたいけどわからないということがあったら、ぜひ著者にコンタクトしてみてください。

(文責:高木絢)


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