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正直に、素直に、誠実に。

以前ふとした場面で耳にしてから、ずっと耳から離れない言葉があって。

苦しみには笑顔で対抗したいし、憎しみには幸せで対抗したいし、不条理には誠実さで対抗したい

このnoteでも度々話題にしている、TOKYO FM「山崎怜奈の誰かに話したかったこと。」( #ダレハナ )で、パーソナリティの山崎さんが発した言葉なのですが。

自らを「じゃない方」とか「乃木坂のフランチャイズ」とか、
自虐なのかマジなのかよく分からないテンションで語る山崎さんですが、
とことんブレないなあ、と思うのは、「自分に正直である」ことだと思っていて。

たぶん、それで損をするというか、
本職たるアイドルの「王道」からは外れてしまう部分はあって、
もうそこは半ば織り込み済みなのだろうなあとも思うのですが。
でもそんなスタンスも、これまでの長い試行錯誤や葛藤の果てに辿り着いた在り方なのだろうと思うし、
こうやって言葉で言うほど簡単なことではないはずで。


周りとの空気感とか、他者から期待されていること、
「求められている自分」みたいなのは、
ありとあらゆるなところにつきまとっていて、
たとえば職場や学校の中はもちろん、親しい友人関係とか、果ては家族内にもあったりする。
そしてそれが、「ありのままの、無理せずいられる自分」と一致するとは限らないし、なんなら一致しないことのほうが多いことが大半だったり。

そんな世の中だから、
「自分に正直でいる」ことって、思いの外難しいことだと思うんです。
誰も一人では生きていけないし、誰かと関わって生きていこうと思ったら、
タテマエのひとつやふたつはないと円滑な人間関係も築いていけないし、
でもそうやって苦労して「社会に適合しよう」としても、
およそ納得できない不条理なことだってわんさかあったりする。

そんな不条理にも誠実さ(言い換えれば「素直さ」「正直さ」とも言えるでしょうか)を向けて接することって、
字面にしてしまうとすごく理想的なものに見えるかもしれないけれど、
おそらく実際の世界では、どちらかというと「バカ正直」「バカ真面目」という方が適切で。
むしろもう少し狡猾に、ずる賢く立ち回れたほうが、自分自身の利益とか立場みたいなものは守れるのかもしれない。
自分がいくら誠実に、素直にいても、対面にいる「不条理さ」がやさしく接してくれるようになるわけではないし。

でも、そうやって「バカを見る」はめになったとしても、
それでも誠実さ・素直さを貫いたほうが、自分自身が健やかでいられる、
自分もきっとそんなタイプだなあと思います。
外在的な欲求とかが乏しくて、無理して「キャラを作る」ことで得られるものよりも、無理せず背伸びせず、のびのびとしていられたほうが人生の満足度は高い。
「出世」とか「誰もがうらやむ成功」とか、そういうものとは縁遠くなるのだろうけど、まあそれでもいいじゃん、と。


もちろん、人によってその選択は様々だし、
「他者が求める姿」にしっかり振り切って、その姿を全うできる人はすごいなあ、さすがだなあ、と思います。
どちらがいいとは一概に言えないし、全ては結果論でしかないけど、
ひとつ確実に言えるのは、
「他者が求める姿を全うし続ける」だけが選択肢じゃないということで。
その道を降りることで、しんどい思いから解放される、楽に生きられるようになる人もたくさんいるんじゃないかなあ、とは思います。

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