見出し画像

「狂気」と「凶気」の間にあるもの。

今日は、こんな記事から。

私も気になって、一気読みしてしまいました。

自分も、ミュージカル・演劇と呼ばれるものに多少なりともお金を落としている一人として、
もしかしたらこういうブラックな構造に、知らず知らずのうちに加担してしまっているのかもしれない…とちょっと恐ろしくなってしまいました…。

個人的には、有名どころの作品しか見てないからかもしれないけれど、
そういうところに出てくるキャストさんは、SNSとかの言動を見てる限り、
そんなに「ひどい人」には見えなくて。
(もちろんSNSだけでその人の性格を推し量る事自体がアレですが)
日々周囲の人に感謝を忘れず、たゆまず研鑽されている方ばかりだな、という印象しかないので、
余計に、こういうブラックな世界がどこかにはあるのか…ということが、まあ確かにあるのだろうな、と思う一方で、せめて自分がお金を落としている世界線にはどうかあってほしくない、と願うことしかできません。


犯罪まがい、というか、明らかな搾取的なことはもちろん論外ですが、
「パワハラ」というものが「昔は当たり前にあったこと」というのが周知の事実であるように、
芸術やエンタメ、スポーツなどの世界では、
ときに「狂気」というものが、ポジティブなものとして捉えられることがありますよね。

たとえば、サッカー界でいうと比較的記憶に新しいのが、
一昨年物議をかもした、チョウ・キジェ監督のパワハラ問題。

結果的に、長く率いていた湘南ベルマーレの監督の座を追われ、
1年間のライセンス停止処分。
処分が明けた今季、京都サンガの監督に就任しています。

「厳罰」を受けることにはなったものの、
処分が明けて間もなく、請われてJの監督へ現場復帰したチョウ監督。
当時はチョウ監督の指導を受けたくて湘南に移籍してくる選手がいたり、
パワハラ騒動が出た際も、各所から擁護する声も出たりと、
必ずしも「厳罰必至」一辺倒という空気感ではなかったような気がします。

一方で、この「パワハラ」で傷つき、自分のキャリアを狂わされた選手がいた、ということも、変わらぬ事実としてあって。
同じ指導を受けているはずなのに、一方でそれがプラスになる人もいれば、
立ち直れないほどのマイナスを負ってしまう人もいる。

熱狂まじりの、チームの熱量や力を高めていく「狂気」と、
鋭い刃となって、心身に深い傷を負わせてしまう「凶気」が、
同じ人の、同じ指導、同じ声がけの中に同居している。
「狂気」が「凶気」に変わってしまう、そんな紙一重の境目は、
一体どこにあるのだろう?

これまでにない挑戦をして、成果を上げようと思ったら、
熱狂、狂気めいたぐらいの熱量が必要になることは、ままあると思います。
でも、それが行き過ぎてしまうと、
一転して、人を傷つけてしまう、取り返しのつかない事態を生み出すことになってしまう。

考えてもなかなか簡単に答えが出ることではありませんが、
別に芸術やスポーツの分野に限らず、
何かのチームを率いたり、そうでなくとも誰かに影響を与えるという立場にある人なら、誰しも意識していかないといけないこと。
そう考えると、決して他人事ではないし、
折に触れて考えていかなければいけないことだなあ、と思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?