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選んだ道を、誇れるようになるために。

土日休みで特にやることもないのをいいことに、
昨日に続き、2日連続で配信の舞台を観劇。

今日見たのは、生駒里奈さんがひとり芝居で演じた「僕とメリーヴェルと7322日の愛」。

生駒さん、これが今年5本目の舞台ってものすごいですね…。
加えて、今クールで放映中のドラマ「真犯人フラグ」にも出演していて、まさにお芝居三昧、といった感じですが、
個人的に気になったのは、これだけいろんな役をやってると、日常でも自分の性格がごっちゃになったり、役同士が干渉してきたりとかしないんだろうか…?ということで。

そんなことを考えていたら、ちょうど生駒さんが先週木曜日にゲスト出演されていた「ダレハナ」のことを思い出しまして。
改めて聴き直してみたら、こんな発言があって、すごく印象に残ったんですよね。

山崎「生駒さんアイドル現役のときも、舞台やられてたじゃないですか」「アイドルって、求められる像としての生駒里奈を、演じてる部分も一部あったりとか、でも素が透けて見えちゃったりもするし、かたや演技では完全に役にならなきゃいけないじゃないですか、日常で三役やらなきゃいけないって結構大変だなと思って」
生駒「あー、でも、うちはアイドルのときは自分の素が透けて見える部分が結構苦手だったりしてて、むしろ役になりきった自分を見せて、お客さんに楽しんでもらったほうが自分に合ってたから、その瞬間はすごい楽しかったな、って思う」

アイドル時代も、日常も含めて、何かの役に入っていたほうが楽だった、という生駒さん。
確かに、自分自身の本来の性格と、アイドルとして求められる「キャラクター」は必ずしも一致するとは限らなくて、
特に、乃木坂の方々は、もともと内向的な性格なんです、って公言してる人も多いから、そのギャップは他の芸能人やアイドルと比べても、余計に大きくなってしまいそうです。

そんなときに、求められる「キャラ」を演じていると、
自分の本来の性格とキャラクターのギャップの違いに板挟みになって、苦しくなってしまうこともあるのかもしれない。
かといって、生身の自分で出ていって、それが評価されなかったりしたら、それはそれで自分自身を否定されたように感じてしまうのかもしれない。

そんな、「苦しさ」「葛藤」なんて簡単な言葉では到底片付けられないであろう数年を経て、
生駒さんは、舞台上で様々な役柄を演じる「役者」という道を見出し、
山崎さんは、電波に乗せて等身大の自分を発信する「ラジオDJ」という道を見出した。

互いに、デビュー数年を怒涛の日々過ぎて「なんにも覚えてない」と語り、
それでも今はこうやって良き友人として楽しそうに語る二人が、
選んだ道は、「自分とは違う誰かの人生を生きる姿を見せる」人と
「嘘偽りなくありのままの自分を見せる」人という、
まったく逆の道を選んでいる、
そしてそれでも、互いの友情はより強まって続いている、というのは、なんだか不思議な気もするし、おもしろいなあ、と感じます。

互いに、何かを羨んだり、嫉妬したり、そんな感情が微塵も感じられなくて、今歩んでいる自分の道に誇りと自信を持っているし、
同様に相手のことも純粋に尊敬し、祝福する、そういう気高い心を持っているように、ダレハナでのやりとりを聞いていて感じられたんですよね。
そういう感情に行き着けるのって、言うほどそんなに簡単じゃないんだろうなあ、と思うんです。

きっと、お互いがお互いの苦労、試行錯誤をすぐ近くで見ているし、
他人と比べられたり、自分でも不意に比べてしまったり、そんな中で、
「でも自分には、これならできるかもしれない」
そんなことを、ひとつずつ自分の手で掴み取っていったからこそなのかもしれません。
そこまでいくと、もう誰かと比べたり、羨んだり、そんな「雑音」に惑わされずに、自分の道をしっかり歩むことができる。
選んだ道を誇ることができる。

翻って、まだまだ自分は「雑音」だらけだなあ、と思います。
いくら聞こえないふりをしていても、まだまだ心の奥底で、どこか他人と比べている自分もいるし、
自分という核が、まだまだ弱い、ブレまくっている。
もっと強くならないとなあ、そう感じたひとときでした。


ちなみに、最近は後輩含め「ザキさん」と呼ばれることの多い山崎さんですが、生駒さんにはしっかり「れなちさん」と呼ばれてたのも割と印象的で。
生駒さんも乃木坂を離れてもう3年以上経ちますが、その後に山崎さんがたどった独特の道が、卒業生と現役生の間にある呼ばれ方の違いに多少なりともつながってるのかな、と思うと、それもちょっと興味深いです。

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