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YOGA日記。

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ヨガを始めて8年。日々のヨガの中で得た気づきを言葉にしたい。そんな思いでこの日記を始めました。
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2021年3月の記事一覧

今日のYOGA。「穏やかさを知っているから/周りのためにも」

3/28 6:15。 マットに座り、目を閉じ、 胸の前で手を合わせる。 それだけで、 時が止まったかのような 穏やかさを感じられる。 どんなにお天気が悪かろうと 身近でザワザワするような ことが起きようと 「大丈夫」と思えるのは この穏やかさを知っているから だろうなと思う。 今日もそのことを身をもって 感じることのできたいい朝だった。 3/29 10:20。 「うー、気持ちいい」と 何度も声がもれてしまうほどに 身体のあちこちがカタかった。 肩周り、股関

今日のYOGA。「どんなに苦しい時でも息を吐くこと、吸うことを続けなくちゃ」

3/26 5:50。 いつもよりやわらかい身体を 感じながらポーズをとっていく。 でもその中で気になることがあった。 不安定な「呼吸」だ。 浅かったり、 ペースが穏やかでなかったりして。 とくに身体のカタい部分を 伸ばしているときには 呼吸するのを忘れてしまっている。 どんなに「苦しい」「辛い」時でも 息を吐くこと、吸うことを 続けなくちゃとはっとさせられた。 呼吸を繰り返していくと カタいと思っていた部分が 伸びてきて ポーズもぴたっと決まってくる。 それ

今日のYOGA。「身をもって知る/春眠暁をおぼえず」

3/24 5:55。 身をもって知る。 この言葉の重みを感じた今朝。 思っている以上にわかっていない 
「自分」のこと。 それがポーズをとっている時に 「あっ」と気づけたりするのだ。 その気づきは 「身体」で捉えたものだから 腑に落ちやすい。 身をもって知る ってこういうことか、と思う。 例えば、 「疲れ」の要因。 自分のイライラセンサーが 反応しやすいことがあるみたいで そのセンサーが作動するたびに 身体に力がキュッと入るから それが繰り返されて 「疲れ」

今日のYOGA。「ふわりとゆるんでいく喉もと/夜のもうひと頑張りのため」

3/22 6:50。 30分だけヨガを。 自分の深い呼吸に ほっとする。 おなかが ふくらんだりへこんだり する動きに 喉もとがふわりと 
ゆるんでいくことに。 短い時間だったけれど 丁寧な呼吸のできた いい朝のひと時だった。 3/23 6:35。 大切な人のためには たっぷりと時間を使いたいなと 思っている。 でも、うっかりすると 自分を犠牲にしてでも 「その人のため」を しそうになる。 マットの上に座り、目を閉じると 「それは違うのだった」 と思い出す。

今日のYOGA。「満たされた気持ちを味わう朝」

3/20 6:40。 いつもより遅く目覚めた朝。 「早くヨガ終わらせなくちゃ。」と 焦る自分がいた。 ヨガをしなければいけない こともない。 でも、短い時間でもしてみると 「一日」が変わることを 体感しているので どうしてもマットをしいてしまうのだ。 焦る自分と 覚悟を決める自分 との狭間でゆれる。 覚悟というのは 「この時間はヨガをしよう」 というそれだ。 一時間弱ではあったけれど いくつものポーズを とることができた。 その間、心や思考は少し 漂ってい

今日のYOGA。「弱さに気づくこと/今の暮らしに合っている」

3/18 5:45。 「太ももの筋肉足りないな」 などと ポーズをとっていると 自分の弱さに気づく。 することが遅いのに せっかちなことや できないことを自分以外の何かの せいにしてしまうことや そんな弱さを見せたくなくて 見栄を張ってしまうこと など内面的なそれにも はっとさせられる。 ポーズがゆらぐ時、 保てない時には かならずと言っていいほど 自分の中にある こうした思考や気持ちに コツンとぶつかるのだ。 でも、おもしろいことに それらの弱さをなくそう

今日のYOGA。「おなかの呼吸/この20年で一番」

3/17 5:55。 「呼吸」が大事みたいだ。 今朝はそのことを濃くつよく 思い知らされた。 バランス力のいるポーズで ふいに崩れてしまった時、 自分の呼吸の浅さにはっとしたのだ。 呼吸が浅くなっているだけで できることが できなくなってしまうこと。 日常でもあるなと思い出す。 練習したことが 本番できなかったり 舞台に立った緊張で 頭が真っ白になってしまったり した過去の記憶がよみがえってきた。 崩れたポーズを立て直し おなかでの深い 腹式呼吸にしてみる。

今日のYOGA。「朝の静けさに包まれているような」

3/15 5:35。 寝転がる。 吸う呼吸に合わせて ゆっくりと右腕を天井にあげ 吐く呼吸に合わせてまた ゆっくりとおろしていく。 左腕も同じように 呼吸に合わせ あげて、おろす。 次は両腕一緒に。 その腕が描く軌道を感じ 重みと、 おりた時マットに ふれる感覚を味わう。 心地いい。 朝の静けさに包まれている ような気分になった。 気持ちはほっと落ち着いていて でも感覚はきりっと鋭くて。 この朝のヨガの時間に 今日も心身ともに 整えてもらったようだった。

今日のYOGA。「味わう時間に癒されていく心」

3/12 6:20。 「次」のことを考えている。 今しているポーズのことではなく、 次は何をしようと 頭を働かせている自分に気がついた。 そうか、だから焦るのか! 焦るクセは以前から気になっていて 時にそのことで苦しくなっていたので なおしたいとずっと思っていた。 その原因とようやく 出会うことができたのだ。 「今」に集中していないから 焦りが生まれる。 頭で考えたらすぐにわかりそうなことだし 実際にわかっていたことなのだけれど こうしてポーズをとりながら 身

今日のYOGA。「桜みたいな綺麗なピンク色の」

3/10 5:50。 朝焼けを眺めながら ポーズをとっていく。 桜みたいな綺麗な ピンク色だなと しみじみとする。 鳥の鳴き声が響き渡る ほどに広がる静けさ。 その中では、 身体ととことん向き合える。 「左側の股関節がカタいな。 伸ばしてあげよう。」 「肩甲骨まわりを伸ばすと 気持ちがすっきりするな。」 「だんだんふくらはぎが 柔らかくなってきた。」 そんな小さなことを ぽつぽつと気がつけることが嬉しい。 ほんとうに小さなことなのだけれど 気づいてあげること

今日のYOGA。「ぽかぽかとした自分のぬくもりが気持ちいい/夕暮れ時」

3/8 6:55。 頭がキュッと痛い。 ポーズを取り始めると その痛みが頭だけでないことに 気づかされる。 身体の側面をたどるように ずっと続いているのだ。 側頭部(そくとうぶ)、アゴ、首と おりていって 脇や腰の辺りまでがカタい。 ヨガを教えてくださっている 先生がよくおっしゃっている 感情の「つまり」がそこに あるみたいなのだ。 とくにネガティブなものは 感じた瞬間ぐっと我慢しがちで 反射的にいつも同じ場所に 力を入れてしまうから 我慢を続けると どんど

今日のYOGA。「まろやかな朝/基本に戻る一時間」

3/6 7:10。 朝起きて一番にヨガをすることに はまってしまったこの頃。 パジャマのままで ベッドからマットに直行し 身体をもぞもぞと動かし始める。 まだカタいそれと 静かな朝の空気を感じながら ポーズをとるこの時間に 満たされていく。 寝起きの街と自分。 お互いの目覚め具合が 同じように感じられることに 安らぎをおぼえるのかもしれない。 目覚めていない街の中で 自分だけ頭が冴えていると ちょっぴり孤独を感じるし 活発な街の中で寝ぼけていると それはそれで切な

今日のYOGA。「朝の運動、続けていこう/穏やかないい夜」

3/5 6:30。 おとといも気持ちよさを感じた 足首を回すポーズ。 呼吸に合わせてゆっくりと 足首を支点にして動かしていくと 足先だけでなく 股関節やおなかの力みまでもが とれていった。 下半身の力を抜いた後は 上半身を伸ばすポーズを。 寝ている間にカタくなっている 肩甲骨周りや背中を 深い呼吸とともに 腕を大きくあげたり 身体を反らせたりして癒した。 こうしてカタさをとってから 一日を始めるのと のこしたままでいるのとでは 「午後」がずいぶんと違ってくるのだ

今日のYOGA。「7年間続けてきてよかった」

3/4 6:20。 一時間半のヨガを終えると あのまとまる感覚が得られた。 二月の終わりにも感じていた クッキーの生地をこねていくと 材料がみるみる一つになっていくあの感覚を またマットの上で、 身体で感じられたのだ。 少し前までは、終える時に 鼻の通りがよくなっていることが 自分の中での「いいヨガだったな」と 思える基準だったけれど 近頃は、焼く直前のお菓子の 「生地」の感覚が 「いいヨガ」のそれになって きているように思う。 そういえば、この感覚はスポーツ、