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毎日note 自分を愛する事

毎日note、昨日の続きです。私は、愛されるという事とか愛するという事がいまいちよく分かりませんでした。愛されるというか愛自体が何なのか全く分からなくて、小さな頃からよく不安で、情緒も悪くて、癇癪持ちだったと思います。よく親に怒られていて、自分がとにかく悪い、いけない子としか思ってなくて、いつも落ち着きなく過ごしていたと思います。親の顔色を伺うのが常でいつも緊張していましたし、あまりいい思い出は覚えていません。記憶にはあるのでしょうが。でもそれが、人を見る力、観察する力になったのかもしれません。幼稚園でもよく先生に怒られていましたし、確かに落ち着きなく動いていた私は、今でいう特別支援が必要な子供だったのだと思います。当時は、そんな支援はなくてできる子できない子の差もかなりあり私は、兄弟とも比べられていたので劣等感の塊みたいなものでした。勉強も大の苦手で、スポーツも出来ず、友達とのコミュニケーションも出来なかったので、大きくなる小学6年ぐらいには1人で過ごしていました。いじめられているのに、仲良くなりたいから言いなりになったり、完全受け身で、そんな惨めな自分が大嫌いでした。中学に上がりいじめもマシになりましたが、私の心はズタズタで、それでもそれを無視して友達と仲良くしていました。でも中学卒業間近にだんだん1人の友達が冷たくなっていき、周りからも無視されることになり、自然に私はまた1人になっていきました。高校は、友達がガラリと変わり、新しい生活になり、明るくなった私は高校3年間いじめに遭わないように強い自分を演じ続けました。そんな強くなってしまった自分は、今までの友達に復讐するぐらい暴走していました。

今振り返ると、完全に誰よりも1番大切な自分を自分が押し殺していたのがよく分かります。中学生から高校生になるぐらいには完全に自我の塊ですね。高校生からの自分は強固な自我でした。この辺から心そのものではなくて頭でっかちな頭中心の考えでした。小学生はまだ、心の部分がありましたが、徐々に心ちゃんが追いやられているのがものすごい分かります。傷つきたくなくてずっと隠してきた心ちゃん。私の心ちゃんは小さな頃から愛されたくて愛されたくて、親の気を引くために様々なことをしていました。親からしたらダメ、いけないこと、様々な事がありますが、愛して欲しい、見て欲しい、側にいて欲しい、たったそれだけで子供は親の気を引くのです。例えそれが親の怒りであろうとも見てくれているのに変わりないからです。側に来てくれるのと変わらないのです。怒られながも愛して欲しかった心ちゃんは、沢山の思い込みを作っていきました。その思い込みでできているのが今の自分、偽物の自分です。偽物でいる時は苦しくてたまりませんでした。

でも、頭心の法則の実践で何が苦しみの元なのか分かり、私はこの小さな心ちゃんと今も向き合っています。苦しみの元は自分が作っていたのも分かりました。今は、セッション待ちなのでまだ完璧には出来ていませんが、いろんな形で心ちゃんは教えてくれます。頭心の法則に出会わせてくれたのも心ちゃん。心ちゃんという本当の自分、私が閉じ込めてきた心ちゃんの存在に気づいてから、訳の分からないイライラや悲しみ、不安が激減しました。それは、頭心の法則で1番最初に実践した自分の感情を見る所から始まりました。次に、その感情がどの感情なのか見ていきました。最初の感情を見るのは中々の難関でしたし、感情と一体化してしまっていた(むしろ感情そのもの)私はすぐに感情的になっていました。何にでもすぐに怒りをあらわにしていた私は歩く爆弾みたいなもので、気に入らなければすぐに爆発していました。子供にも怒っていましたが、すぐに罪悪感に変わりを繰り返していました。(この時に、小さな頃の自分と子供が重なり自分がされて辛かった事を我が子にもしていると気付けれましたし、だから罪悪感もあったのかなって思いました。)その逆で、小さな事で不安になり焦り全身から冷や汗が出て心臓がおかしくなる事も度々ありました。感情が湧き上がる瞬間、これが掴めてくると自然に自分のその時のどんな感情なのかが分かってきました。そして、いつ自分が反応するのか、どんな時に感情が上がってくるのかを見るようにしていきました。

不安、恐怖、怒り、恥らい、焦り...まだまだ沢山ありました。この感情の奥にあるのがその感情を持っている心ちゃん。その感情と付随している物語。頭心の法則でいう『観念』。私の心ちゃんは沢山の辛い感情を持ったままその感情ができたその『時』のままそこにいました。心ちゃんは私に映像で見せてくれる時もあれば、言葉で教えてくれる時もあります。その時に思ったこと、思い込んだ事、これが心ちゃん、心ちゃんの観念。この心ちゃんを私は少しずつ癒していきました。まず初めに、自分の事が大嫌いな心ちゃんを認めて、それでも頭の私は大好きだよって沢山伝えました。実践中は涙が止まりませんでした。なかなか難しかったので私は頭に片手、心に片手を置きながら実践していました。今は身体症状も少しなくなり、心も揺らぐことが少なくなりました。

まだセッション待ちで、きちんとできているかは自信ありませんが、私が自分で自分を愛していき、まだまだ幸せになっていく途中をまた明日に書いていけれたらと思います。

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