子どもが心配3

義務教育の「義務」とは何か

高橋 義務教育とは、「子どもがイヤがっても、義務として学校に行かせ
   る」ことではない。
   子どもが「学校に行きたい」と望めば、それを権利として認め、教育
   機会を与える義務が親にある、ということなんですよね。この事を
   知って、その通りだと、ハッとさせられたことを覚えています。
   たしかに世界には、子どもを労働に駆り立てて、学校に行かせない
   親がいます。又、それを黙認し、している社会もあります。
   子どもが学校に行きたい、勉強したいと望んでも、「自分達には教育
   を受ける権利がある」と主張できない。当然、親のほうにも子供を
   学校に行かせる義務は発生しません。
   学習意欲のある子どもにとっては、非常に理不尽な状況ですよね。
   でも日本は違います。子どもが「勉強したい」と言えば、その権利を
   守ってあげるのが親の義務とされているのです。
   私はこの話をときどき、子供の不登校に悩んで外来に見える親御さん
   たちに伝えています。病院に連れてこられるほどの理由があって学校
   に行けない子というのは、もう十分に苦しんでいます。
   義務教育だからとお尻を叩いて、学校に送り出すのは違う。
   親御さんには、子どもには学校に行く権利もあれば、行かない権利も
   ある。守ってあげましょうよ、とお話しします。

養老 今は義務教育も含めて、教育制度の維持そのものが目的化しているよ 
   うな気がします
。高橋先生が仰るように、先生達も「義務教育と
   は?」という問いかけもしないままに、現状の教育制度に乗っかっ
   て、動いているという印象ですね。
   聞くところによると、先生方は書類仕事で大変忙しいそうです。
   夏休みも学校勤めをされるとか。

   しかし、教師が子どものいない学校で仕事をすることを異常だと
   思わない社会はどうかしていますよ。

   医師が患者さんのいない病院に行くようなものですからね。


社会全体で子供を育てる責任

養老 私はかって保育園の理事長を務めていたときに、「理想的な保育園
   とは何だろう」と考えを巡らせたことがあります。
   いろいろ考えるうちに、ふと「あれ?」と気付いたんです。
   もしも万能な保育園が実現したら、はたして親の役割はどうなる
   のか、親は何をすればいいのかと。
高橋 よくわかります。もちろん親は子どもにとって大切な存在です。
   しかし、世の中には親のいない子どもだってたくさんいます。
   そうした子どもが一様に不幸なわけではない。そう考えると「社会」
   として子供を育てる意味で、保育園や幼稚園には存在意義があるので
   しょう。
   もとより子どもの育て方は、時代や環境に大きく左右されるところ
   があります。
養老 私の子どもの頃は、子育てに対する社会的な要請が強くてバイアスが
   かかっていた半面、共同体は機能していました。
   たとえば悪ガキがいれば、周りの大人たちが「このまま放っておく
   と、ろくな大人にならない。地域の仲間として受け入れるわけにはい
   かなくなる」と思って、叱ったり、説教したりする。そういうことが
   普通にありました。
   ところが今は、共同体で子供を育てるという意識が圧倒的に薄れて
   います。共同体が消えていくのと並行して起きている現象だと思い
   ます。
高橋 「子どもを正しい大人に育てるのは両親の責任だ」と言われればその
   通りですが、その延長で、社会全体が子どもたちの教育に責任を持つ
   べきですね。戦時中の「将来は兵隊になるのが良い」というように、
   一律的な規範を勝手に設定するのは反対ですが。
養老 私が教育に望むのは、子どもが幸せになる社会をつくってほしい、
   それだけです。