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福岡のウイスキートークと古稀のテイスティング…


 8日の昼過ぎに恵比寿を出て、2時過ぎのフライトで福岡へ。福岡は昨年のウイスキーストーリーズの日帰り出展以来だが、今回はウイスキートークということで、このところ恒例となっているAさんらとの会食。今回は秩父の肥土さん、由美さんも一緒で、その後9時すぎに中洲のバーヒグチに行き、そこでモスコミュールやマッカラン、最後はヘネシーのコニャックなどを飲み、ホテルにもどったのは11時半すぎになっていた。
 


 9日の日曜は10時に会場となるマリンメッセに行き、フェスの準備。有料試飲、ミニボトル、フルボトル等を並べ終わって、1時から行うスペシャルにセミナーの準備。これは私の古稀を記念したもので、“土屋守、最後のスペシャルテイスティング”ということで、1990年代後半からミレニアムにかけて出した、私の「シングルカスクコレクション」全22本の中から、最後のトマーチン1976とグレンバーギ1975を含む6種をテイスティング。もちろん目玉はそれ以外にも、私の生まれ年でもある1954のグレングラント、そして私が選んだハイランドパーク1973、さらに同蒸留所のバイセンテナリー記念の40年物の1958なども、お出しした。
 


 参加者は定員の14名で、70分という時間だったが、ゆっくりとテイスティングし、それぞれのボトルのストーリーと、そして私の35年におよびウイスキー人生を語らせてもらった。考えてみれば人生の半分をウイスキーに捧げていることになる。もちろん本業はライター、もの書きなので、その間に出した本は50冊を超え、さらに私が編集長として出したウイスキー雑誌も、スコッチ通信やウイスキー通信、ウイスキーライフ、コニサー倶楽部も入れれば、すでに200冊くらいになるだろうか。ガロアやその前のウイスキーワールドだけでも、100冊くらいになる。思えば、よく書いてきたものだ。
 
 21歳の大学4年の時、初めて1人でインドへ行った。その時タージマハールで有名なアグラの街で、一人のヨギ(ヨガの行者)に出会い、そのヨギから手相を見てもらったことがある。そのヨギは占い師でもあり、タダで手相を見てくれた。その時に言われたのが、「将来は作家として身を立てる」ということだった。その作家の意味することが分からなかったが、今、そのことを思い出すと、テーマはウイスキーだが、とりあえず“もの書き”として生計を立てているわけだから、そのヨギの言ったことは当たっていたことになる。人生とはつくづく不思議なものであると、そのスペシャルテイスティングをしながら、思い巡らせていた。
 
 で、フェスは大盛況で、夕方5時からは全体のトークショーもあり、疲労コンパイ。荷物をパッキングし、そのまま博多駅に移動し、JRの列車で佐世保に9時過ぎに到着。ガロアの原稿、コニサー教本の校正は待ってはくれないので、移動中や旅先でも校正用紙と原稿用紙は持参で、朝から、その作業を続けることになる。これも、“もの書き”の宿命といえば宿命かもしれないが…。
 


 私はアナログ派で、今でも原稿は400字詰めのキャンパス原稿用紙に手書きである。それとシャーペン1本なので、パソコンを持ち運ぶよりは軽くて楽だが、それを入力する手間が必要で、いつもスタッフからは文句を言われている。なんとも肩身の狭い古稀の人生である。


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