なぜみんな『楽しさ』を求め続けるのか。
寝る時間が多かった最近、色んな想像が出来たはずなのに、
「結局、お前はどうしたいんだ?」などの質問を、高熱でもしいてた。もっと他の想像して欲しかった。
今回考えてたのは、
「なぜ、より楽しさを追求する時代になったのか?」
という事です。
このキッカケは昨日読んでいた、
「サピエンス全史」に書いてあった内容から色々考えてました。
この本は、
人間が向かっていく方向について過去の歴史を元に書かれてるのですが、
その過去が、"ホモ・サピエンス"の時からなので、約25万年前から21世紀までの歴史から、
「何がホモ・サピエンスを変化させ、向かう先を決めたのか」について書かれて、
その中(下巻の239回ページ辺り)に幸福についての話で、
"苦痛の軽減や快楽に対する期待が膨らみ過ぎ、不便さや不快感に対する堪え性がはなはだ弱まったちめに、おそらくいつの時代の先祖よりも強い苦痛を感じていると思われる。"
つまり、
不快の耐性を弱めたために、楽しさで補おうとしている。
そのために、より楽しさが追求されてる。
と思いました。
(巷では、より楽しさを追求する様になったのは、"正しい事"の価値が情報入手が容易になる事で下がったからとも、言われてる。)
快楽の消費が早い
今の時代、どんどん便利に社会がなっていくなと感じます。
多分、これらの理由は上に書いた通り、
・不快の耐性が下がったため、求める基準値が高くなったから
です。
ここに対応するためには、
相手の基準(不快)を読み解く事が大事で、
「楽しむ事に慣れて基準が高い人にどう楽しませるか?」
という事だと思います。
そのテーマのヒントとなるのは、
「コミュニケーション」だと思いました。
最近よく言われている
「焼肉型とBBQ型」
前者は便利で、後者は不便です。
焼く手間だけではなく、材料の準備から何からあるのです。
でも今は、後者の方が好まれていいるのです。
なぜなら、
「印象に残って面白いからです。」
この印象とは、手間の事で、手間によって生まれるコミュニケーションが楽しいのです。
つまり質の高い”便利な楽しさ”を受け取るだけでなく、
自ら発信したりして作る事で、質が低くても(丸焦げ肉でも)、そこによって生まれるコミュニケーションが大事なので、「BBQ形」がメインになってます。
このコミュニケーションは、オフラインだけではなくオンラインでも重要で、荒野行動などでも会話機能がついて仲間と話せたりと、共通の敵を倒す事によって生まれるコミュニケーションは「BBQ型」だなと思ったりしてます。
また相手にあげるプレゼントでも、
相手の状況を考えて合った物を贈る事で、値段が高い物でなくとも、考えた事が相手に伝わる良いプレゼントになると思います。
これも楽しませるコミュニケーションになります。
こんな感じで、
より楽しさを追求する時代では、いかにして続くコミュニケーションを作れるかが大事だなと考えました。
そんな事を考えながら、
こうしてコミュニケーションを通して、色んな価値が作られるけど、本質的には価値があるわけではなく、
みんなが、
「価値がある」と想像したからなので、人間の想像力によって生まれる”信頼”というモノは強力だな〜と思いました。
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