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自分のため。

最近目にした言葉で「”あなたのため”は、どんな場合でも美しくない」と言うものに、はっとさせられた。
わたしは何度「誰かのため」と言ってきただろうって。
もちろんいいことだけど、本当に思っているけど、
何だかいつも少し「傲慢」になっている、感じている自分もいて。
うまく言えないけど、これなんだなぁと思った。


「お前の武器を全部使え。」これは、わたしが好きな言葉。

自分の描く絵が好きな人、言葉が好きな人、顔が好きな人、声が好きな人、プライベートを愛してくれる人、
誰かが好きなもの、誰かがほんの少しでも元気になることを見つけたい。
もちろんそれは「わたしのため」なんだと思う。

10秒だけでいい。1分だけで良い。長ければ一日。願うなら一週間。欲を言えば一ヶ月。叶うなら一年。
「少し救われたな。」と「今日もがんばったよ。」が自分と誰かに繰り返しそっと続けばいいなと思う。

そう思うときに言葉を紡ぎたい。絵を載せたい。たまに自分も元気だよと言う自撮りとか顔も。

自分も楽しまないと楽しいものも作れない、自分が苦しまないと良いものも作れない、の繰り返しだから
新しい自分に出逢って、いろんなことを見つけるために、新しいことを無理矢理にでも見つけていたいね。
みんなもそうだと思うけど。


プラス、自分がもっとできたら良いな、誰かももっとできたら楽しいんじゃないかなと思うのは
何げない日常を大袈裟に面白くに見せたり、温かく伝える為に「書き方」「見せ方」を工夫することを考えること。
まさに今の自分の仕事なのだと思うけど。

ただ、本当に見た目だけになってくると意味がないから、人には見えない時間だって大切にしていたいとも思う。難しいけど。

それが上手にできるようになったら、本当の意味でもう少し大人になれるかな、と。

お散歩をして、人にも会う。恋もする。ありえない事件も起こす。仕事をする。
自分のご機嫌を取るために、かわいい努力をする。

自分って「人のため」だけに動けるほど、全然できた人間じゃない。
わたしなんかは何歳まで「自分のため」に生きているだろうか。
きっとほとんどが承認欲求と劣等感で、少しだけ”誰かの痛みを救いたい”と思っているマシな自分。と言う割合が本音なんじゃないだろうか。それを繰り返しているだけ。

ただそれが悪いとかじゃなくて、本音で生きる時間が長くないと我慢できる時間も保てないイヤな人間になってしまうと思うから
むしろ「自分のため」を持っている方がいいのかな。
誰かと一緒に過ごす中で「我慢」ができない人間にならないように。

真面目に誠実に生きているわけじゃないからこそ
「本当はこうありたい。」と言う綺麗なものを夢に見るし、
反省して小さな軌道修を繰り返して、早めにもっとマシな人間になりたいんだとも思う。

そのためにももっと「素直」に生きていきたいと最近は思う。

できるかな。

「誰かのため」は「自分のため」に生きてこそ言えよと自分に言うよ。

今日もどうしようもなくまとまらなかったかな。笑


今日もがんばったね。
ありがとう。

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