【毎年恒例】築50年の実家で26人で新年会をした話
父は男ばかりの三人兄弟の長男である。
つまり、わたしの実家はおばあちゃんちとなる。
我が家では、新年会と称し、毎年1月の2週目の週末に、実家で新年会をおこなっている。
子供の頃は、それはそれは楽しみで、いとこ同士で遊んだり、お年玉をもらったり、トランプをしたり。
父方のいとこ9人の中でわたしが一番上であるため、社会人1年目の冬にいとこにお年玉を渡したのは、なんだか感慨深かった。
その他にも、近くにすんでいる親戚もきてくれたりして、毎年30人前後が集まる、築50年を越える、実家に、30人‥
そこそこの人数が集まるため、料理も大量調理となる。
事前に母が仕込む料理もあるが、基本的には当日作る料理が多い。
毎年おせち、筑前煮、とんかつ、エビフライ、焼き豚などを作る。
おせちはできあいのものも多いが、揚げ物は粉をつけるところから始めるため、なかなか手間も時間がかかる。
そこで、毎年活躍するのは、親戚のお兄ちゃんの嫁、ちはるちゃんだ。
ちはるちゃんは保育園で管理栄養士をしている、いわばその道のプロだ。
ちはるちゃんがくると、手際もよく、おいしいごはんがどんどん作られていく。
また、ちはるちゃんが作ってきてくれる素朴なおかしがわたしは大好きだ。
がっつり胃袋をつかまれている。
がしかし。
ちはるちゃん、まさかの体調不良により欠席の連絡を受け、一同絶望の淵に立たされた。
ちはるちゃんなくして新年会が成立するのであろうか‥!
他の主婦ズも、こどもの体調不良などで、ぎりぎりの到着となるようであった。
すると母が
「あんたはこられなくていいんだけどさ、豆太郎さん、朝これるよね?」とひとこと。
豆太郎とは、旦那である。
仮に、豆太郎にする。
豆太郎は、昨年はじめて我が家の新年会に参加し、活躍した。
準備から参加した豆太郎は、居酒屋のキッチンのバイトリーダーであった過去を活かし、いつもの新年会にはなかった切り方で焼き豚を切ったり、サラダをおしゃれに盛り付けたりと、存分にちからを発揮した。
母はそれを覚えていたのだ。
当日は14時開宴であったが、われわれは9時半より実家で準備をした。
必要とされていることがうれしい豆太郎は、マイ包丁を持参した。
焼き豚を切らされる豆太郎。
出来立てのとんかつ(20枚)を切らされる豆太郎。
もちろん、粉をつける作業もわれわれでやっている。
これはほんの一部であるが、貴重な戦力であった。
どたばたしながらも、なんとか昼には準備が完了した。
結局のところ、旦那にとってはアウェイであるため、やることが与えられることは逆によいことである気もした。
本人もいきいきとしていた。
いざ会がはじまれば、あっという間に料理がなくなっていく様もまた面白い。
旅館か。
狭。
スーパーオーケーのピザ10枚。(要予約)
弟がなぜかひとりで取りに行き、レジのおばさんに「今日なにかあるの?」と聞かれたらしい。
なにもなかったら、やばい。
0歳から92歳の新年会は、あっというまにおわった。
旦那も言っていたが、いまはこうやって親戚中で集まれる機会がなかなかない。
祖母にもしものことがあった場合、この集まりはなくなってしまうのかなと、すこし心配している。
祖母もとても楽しそうであった。
日々なかなか刺激がないため、色々な人と接する機会は非常に貴重だ。
来年も再来年も、また皆元気で新年会ができることを楽しみにしている。
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