縦横無尽、じゃなく、右往左往
「わざわざそんなこと言わなきゃ良いのに」
ってことが世の中たくさんあるのでしょうが、私はその線引きが分からないニンゲンです。なので気づかずいつも踏み越えてしまいます。
なぜか分からないけど、常に色んな人との関係性をこじらせてきたような。
そもそもそんな関わりなどあまりなかったような。
子どもの頃は「どんな子がいてもいい」というオーラにどことなく守られてきましたが、大人には「これこそが正しい大人だ」という「オトナ像」がある気がして、いつも勝手にしんどくなっていました。
子どもの頃は良かった。あちこち潜り込んで、虫探しをして。
それが私の幸せ、というか生き方であり、幸せや在り方を疑うこともありませんでした。
でも今はちょっとだけ違う。良くも悪くも。
私はちょっと……苦手意識があります。
……「何に対して」かというと、よく分からないのですが、どうも「恋愛」や「家族」のあたりに向けて、です。
でもそれは人間界の大きなテーマというか、根源・土台的なもので、外したら世界が崩れます。
そして生き物の世界でも、大体のシステムは人間と共通です。
つまり恋や家族は地球の象徴だと思います。
それで私は、ほんのちょっと苦手意識をなくそうとしてみたり、逆に思ったことを書き殴ってみたり、少しだけ色々やったのですが、やっぱり情緒不安定で煩悩だらけで、なんだか分からないけれど複雑な気分で、結局整理がつかないままでした。
でも自分が苦手だからって、人に対してどうこう言うのは違うと思います。表現は自由です。
私もまだ矛盾だらけで定まっていませんし、日によって言うことがブレブレだったりします。が、目指すところは「美しい生き物と醜い生き物、価値のある命とない命なんてない」というところ……でありたいです。
「世界に一つだけの花」で言えば、「人それぞれ好みはあるけど どれもみんな綺麗だね」という気持ち。
好みはあるけれど、差別はしたくないような。
「殺されるために生まれてくる命なんてあっていいはずがない」と、特定の生き物を前にするとよく言われますが、その「特定」はなくなっていけば良いと思うのです。
でも、ペンギンを食べるのは抵抗あるだろうけどニワトリは平気で食べるから、やっぱり私は一生差別から逃れられそうにないのですが。
表現にはそれぞれ意図があるから、それを否定するようなことを言うべきではない(言ってしまうけど)、ですね。
自分の考え方を押し付けるのではなく(押し付ける以前にまだ定まっていないけど)、自分の捉え方を変えるべきだと思いました。
「攻撃的ではない言い方」「意見が違っても認め合える表現の仕方」はごまんとあるはずです。
それを、どうするべきか。
そもそも気持ちを表現する必要はあるのか、ないのか。
どことなく本音を隠すのもどうなのか。
私が恋や繁殖について感じるのは、「死んでしまうから増やさないといけない、守らないといけない」という本能です。
それと「愛」はまた別物、少し違う、と捉える方もいるのかもしれませんが。
愛に血や種族の繋がりはいらず、飛んでいる虫を愛することもできます。
が、その愛と、同種族……いや、「特別な誰か」への愛は微妙に違う。
何人人がいようとも、何匹同じ動物がいようとも、「他人」と「家族」は違う。
「愛」は何か。
私はそれが分からないまま来ました。
先生が「えこひいきはダメなんだ」とよく言っていました。
好きな生徒をえこひいきすることは、他の生徒への差別になるから。「お気に入りの子」はいちゃいけないのだと(いたとしても、それを表に出すべきではないと)。
でも、誰かを愛するということは、その人だけを愛するということです。
私が昔まず思ったのは、たしか、「すべての人がすべての人を平等に愛すれば良いんじゃないの?」ということでした。
でも「人それぞれ好みはある」。
そして悲しいけれど、人それぞれの、命の順位も。
一部の人間は、自分たちが生き物であること、本能を持っていること、他の生き物と同じ感覚であることを忘れがちなようなので、どう捉えているか分かりませんが、そもそも繁殖しなければならないのは、死ぬからです。食べられて個体数が減ったりもするからです。
生まれたばかりの子ウミガメが次々鳥に食べられるシーンとか、サバンナの草食動物の赤ちゃんが肉食動物に狙われないように一生懸命早く立ち上がるシーンとかありますが、生まなければいけないのは、あのように食べられるから。
そして人間は食べられることはないにしても、群れを成して何らかの行動をするためとか、やはり寿命はあるからそのためとか、そういう理由だろうなと思っています。
そしてある種が増えようとしても、それを捕食する動物や寄生虫、病気などによって、地球のバランスが保たれる。
「そんなことじゃないんだ」という意見の人もいっぱいいるはずですが、そもそも寿命や病気、死がなければ、子孫を残して種を存続するという工程が必要ありません。終わりも始まりもなく、「すべての命がすべての命を愛する」という在り方も可能だったかもしれません。
だから私は、死も病気も繁殖もない世界に行きたいです。
現実逃避だとか、そんなものはないと言われても。
何かから逃れようとせずにはいられません。
でもこれからも、矛盾したことを言いまくり、ブレまくると思います。
「あのときああ言っていたのに、どういうことよ?」って自分でも思うと思います。
そして、多様性ある表現を身に付けようと思いつつ、差別的で被害妄想的、否定的、限定的な言い方・考え方をするので、いつ誰に嫌われてもおかしくありません。けどそういうヤツです、すみません。
攻撃的で、嫌われるようなことばかり言う癖に、嫌われることを恐れているもので、我ながら面倒だなと思います。すみません。一生、よく分からないことを呟いていそうです。
では終わります。
お読みいただき、ありがとうございました。
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