見出し画像

承認欲求と交流欲求の戦い(向上心は不在)

最近ゆる〜く、「私の人生ここまでかぁ」みたいな諦めモードに入っています。停滞感? 劣等感? 無価値感?

小説を書いても書いても(というほど書いてない)アクセスなく、収益化も手詰まり、もう、次の作品書いても同じだろうな、今後も特に何も起こらず、アクセスもないのだろうなぁと……。

アメブロ時代から、ずーっとこんなことばかりぼやいています。

宣伝を自分なりに試してきました。ずっと作品へのリンク貼り続けたりとか(アメブロ・pixivなど)。あちこちのサイト登録してみたりとか。自分なりに、やり方も工夫したつもりでした。けどもう策は尽きたかなー、と。

多分、才能がないんだと思います。作品、宣伝力、性格、知識、メンタル、一貫性、完成度、本気度、継続力、忍耐力、向上心、集中力、対人スキル、その他いろいろ。

宣伝投稿にいいねは付く、宣伝投稿のいいねは増やそうと思えば増やせるんですけど(いいねして回るとか)、作品は読まれなくて。

「ずっといいねを押してくれるフォロワー様」がいても、その方は作品を見てはおられない。というのはアメブロ時代から知っています。宣伝して、いいねが付いて、けどアクセス数はほぼ上がっていない、というのを繰り返してきたので。

で、私も他の人のリンクを押せていないし、お互いにリンク押さないいいね合戦が八割だとすると、時間の無駄なような。そもそもどれが無駄で何が無駄でないのか、何も仕分けられていないんだけど。

最近、時間がない時間がない、全然創作ができないと、何か焦燥感に駆られてきました。でもふと、もう良いんじゃないか、「良い意味でどうでもいいやと思えるようになりたい」と感じ始めました。ゲームしたり。動画見たり。散歩したり。気ままな遊びもやりたいなぁと。

私は現実社会で落ちこぼれで、何をやらせてもうまくできない、性格の悪いのび太くんみたいなやつでした。30分でできるはずの仕事に2時間かかり、そのままタイムがあまり縮まらなかったり。それ以前、学生の頃からも色々。何かずっとうまくやれなかった。友達いないし。人から怒られっぱなしで、存在価値を感じられなくて。

けれどきっと人にはみんな才能がある、何かが不得意でも他に「得意」な才能があるはず、仕事はできなくても芸術的才能はあるんじゃないか、そしてもっと伸びるはず、好きなようにやるのが一番だ、と綺麗事を信じ、きっといつか創作で生きていけると思ってきました。知識も人生計画も何もないまま夢見てきました。それを心の拠り所にしてきた。

思えばそれも、友達はいないけれどちょっとだけ、学生の頃に創作で賞を取ったり絵をクラスメートに褒められたりと、認められたことがあったからかもしれません。直に人とコミュニケーションを取ろうとしても私にはできなかったから、間接的に人の気を引こうとしたのかも。もし動機がこの程度の薄っぺらさならば、当然、創作への本気度も足りないはずですね……。

子どもの頃は、人生長そう、まだまだ先がある、未来は良いかもしれないと思ってきましたが、案外人生短そうです。未来に向かって組み立てようとしても、組み立てる力もないし、今から組み立てても、死ぬまでに一体何ができるだろうと。見当が付かないし、自分の求めるものも分かりません。

結局。芽が出ない。人のアドバイスに真剣に耳を傾け、教えてくださいと頭を下げるだけのメンタルもない。ならば私は才能がなかったのだ、「叶えるのが夢だけど叶わなくても夢は夢さ」と、いい感じに諦めて、創作は楽しい趣味としてやっていければ良かった。

けれど趣味と言うには心の拠り所にしすぎた。創作への思いが重かった。そして、現実社会で落ちこぼれの自分を直視できず、別の才能はきっとあるから大丈夫だと、劣等感から逃れたかった。「私は芸術家だから」と、堂々と生きていける自分でありたかった。……創作に対して、現実的に本気というより、本気の現実逃避だったのかな。こんなふうに書くほど、何も作れていないくせに。

なんだろう、想っても叶わない、これが失恋みたいな気持ちでしょうか? 私は本当に相手を見ていたんじゃなく、都合良く美化した相手を追っていたんだ、みたいな?

根がネガティブなので、フォロワー様、関わってくださっている人にも、今日こそ嫌われるんじゃないかというような気持ちです。創作がどうとか言いつつ遅筆で、作品も数えるくらいしかないし。その割に別のことにやたら時間割いてたりするし。ファンがいてくださったとしても待ちくたびれるかも。

アメブロのときは最終的に、この記事に書いたようなことを書きまくった後、いいね欄を閉じてアカウント放置。ブログでは、創作界の人はそこまで多くなかったので、創作者が多い小説投稿サイト等で活動しようと思ったんですね。でもガチの方々の中に入ったって埋もれるだけで、収益化できるはずがなかった。

宣伝活動も迷走。もっと心広くおおらかにいられたら、違う趣味の人とも、別に私の作品になど興味なくてもいつもいいね押してくださる方にも、全部感謝できるはずだった。話しかけて仲良くなれたかもしれない。けれどいつも承認欲求が邪魔して、ネガティブモードに入って、人が引いてった気がします。趣味や考え方が違う人とも仲良くなることは可能だけど、もし相手か自分が、趣味や考え方を激しく押しつけ始めたら、受け入れるか終わるかしかなくなってくる感じがしますよね……。

私が自分の承認欲求を押し付けたり、「どうせ認められないんだ」などと恨み言みたいに漏らしたりしなければきっと、続いていた関係もあった。人が離れていく気がする。というか自分から勝手に早合点して逃げているんだろうか? そして、その方が良いのか? 創作のみに没頭したいのか? いや、そうではなく本当は交流したかっただけなのか?

最近……いや、10年以上前からかも。承認欲求と交流欲求、主に二つの気持ちの間で揺れています。その結果、喋りたいモードのときに自分から話しかけておいて、できた繋がりを後で雑にブチ切るような、最低人間になっています。

優先順位、感情、目的、すべてのバランスが取れない。自分がどう思っているのか、ちゃんと説明して貫けばいいのに、そもそも整理がついてない、説明力もないから、当てもなく流され続ける。我ながら何がしたいんだか。アメブロ名が「機械オンチの行き当たりばったり日記」だったのですが、言い得て妙だと思います。

双子座じゃないけど、美川憲一さんの「双子座生まれ」の歌詞に頷く感じ。情緒不安定なのか何なのか。みんなバランス取っててすごいなぁ。

人恋しく、深夜までネットに入り浸った中高生の頃。傷ついたことも多く、おそらく無意識に傷つけたことも多く。けれどあの頃は、程よく距離感を保とうなどという発想は微塵もなく、また、作品を認められたいなどという目標だか煩悩はありませんでした。グイグイ突っ走って笑いあったり。喋るだけで幸せだった思い出が懐かしいです。

今は何かと冷静じゃない。フォロワー様の才能に嫉妬したり妬んだり、勝ちたいと思ったり。自分の意見に固執し、価値観の違いにざわついたり。どんどん最低最悪に、落ちぶれていく。雑念だらけでもはや、何が本心か分からない。

あーあ、死んだ後、今世のことをどう思うんだろう。どうせお金や、キャリアだか何だかや、持ち物等、物質的なものはすべて消えるというのに。承認欲求に魂を売るなんて馬鹿馬鹿しいって思うのに。存在するんだかしないんだか分からない物質次元で、みんな精神世界に移行していくってのに、自分は何をやっているんだろう。しかも何も得られていないし。

死んだ後心に残るのは、ゴチャゴチャした複雑なことではなく、子どもの頃のように純粋で、淡く夢のような交流の一時だけではないでしょうか。心触れ合う瞬間を人生で作れなかったなら、何も残らない気がして怖いです。承認欲求と交流欲求が戦っている。どちらを選んでも「そうじゃない」という思いが沸き上がる。

自分の中の承認欲求は、突き詰めれば、こう言っているのかもしれません。「ありとあらゆることを削って、創作にすべての時間をつぎ込んだら? 肉体は老いていくのだし、急に事故や病気で体が動かなくなる可能性もあるだろう? 今後何らかの事情で、ずっと何事かの対応に追われ続ける可能性だってある。時間は貴重だ。いつ何が起こり、中断せざるを得なくなるか分からない。それでもやるんだ。超大作を書き上げようと思うなら今すぐ、他のことをやめて人生をすべてそれに捧げるべきだ。もう、人生の目的以外に時間をかけるのはやめようよ。やりたいことは他人ではなく自分の中にある。君がやりたいのは、書きたい作品を書き上げること、それだけだろう?」

自分の中の交流欲求は、こう言っているかもしれません。「あなたが幸せだった瞬間はいつだった? 本当に、『創作』で認められることが望みだった? 違うんじゃない。居場所が欲しかっただけでしょ。居場所はもうあるでしょ。嫉妬や承認欲求に囚われて見落としてるんじゃないの。関わってくれる人がいる、素晴らしい作品が世に溢れている、それで十分じゃない。自分の才能は伸びずとも人の才能を応援できる。嫉妬なんてやめようよ。人の心や自然に触れる何気ない一時、それが昔は感じられていたのに、今は感覚が鈍ったんじゃない?」

多分これからもずっと揺れるでしょう、優柔不断だから。バランス取れば良いのかもしれないけど、私は極論に陥りがちで、うまい匙加減というのができないのかも。

人の温もりを求める、そこに重点を置くのもヤバいんですよねー。思えば創価学会に誘ってくれた先輩も、性犯罪をしてきた相手も、作品に親切そうにコメントくれておきながら自分の投稿で私の陰口叩いてたアンチも、一見まともで優しそうで、特に危険な香りはない方々だった。真面目でおとなしそうな人が一番怖いってね。

けれどそれは相手の悪意というより感覚のズレだったのかもしれない。きっとみんな悪意もなく、私の感覚と違っただけ。私の感覚も多分おかしいのでしょう。

人は表向きはルールや全体の空気に従うけど、一枚化けの皮剥がせば、そこはもうカオスなのだろう。何考えてるか分からない。わりとヤバい人がウヨウヨしている可能性もある。人付き合い避けてるから、それがどのくらいの割合や確率かとか、何が本気で何が冗談、どこまで踏み込んだら何のサインになるとか、サッパリ分からないんだけど。

例えば私は友達いないキャラでやっているし、孤独エピソードを自虐ネタとして使っているけど、これも「寂しいです、誰か構ってください」みたいなサインを出してるように捉えられるのかもしれません。そして相談する友達もいない私のような孤独人を狙って、詐欺・勧誘その他が来るかもしれない。無意識に自分の手で、謎のスイッチを押して回っているのかもしれない。それを分からず被害者ぶって、人間不信になって、恥を晒しているのかも。

人は等身大の猛獣か……。自分も含めた人類というカオスと、当たらず障らずではない付き合いがしたいと思うなら、けっこう覚悟が必要そう。

そう思うとやっぱりめんどい、創作や一人遊びを極め、適度な距離感を見つける、あるいは関わりを遮断するのでも良さそうな気がするのに。「関わりたい」と「関わりたくない」の間で揺れています。

バランス派がいるならこう言っているかもしれませんね。「色々経験すれば良いんじゃないの。経験って言ってもお前はどうせリアルでの人付き合いを避けるし、大した経験もできないだろうけど。創作に集中とか言ったって、どうせ読者は不在。それに読者がついたとしても、人付き合いがまるでなければ、読者置き去りで突っ走る独りよがりな作品しか作れないんじゃない? 人の心理も分からずに創作できんの? 色々やって、経験積んで、その結果良い作品ができればラッキー。良い作品があれば、宣伝などせずとも結果がついてくるだろう。一生、認められる作品が作れなければそれも、結局その程度だったってことだ」

私は自分の心の整理のためにあれこれ出しますが、「それはちょっと違うんじゃない?」と論争になったり、誰かとの価値観の違いで傷つけたり、想定外の方向に反応が来ることもある。

そして自分の心と戦うこともあります。セルフ反論。

決着がつかない。優柔不断。もう仕方ないかも。
仕方ないならば、ひとまずそれで良いのかも。


・SUZURI始めました m(_ _*)m https://suzuri.jp/mamimujina ・アルファポリスで色々投稿中です。 https://www.alphapolis.co.jp/author/detail/206695515?sort=update