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「当たり前」という心の惰性を拭い去る


前回まで活動コンセプトについて話してきた。
このへんから私の作品についてもっと触れていきたいと思うのだが、その前に私が日頃感じていることを書き留めておこうと思う。


1.「当たり前」の定義

私たちは、たいていの人が、住む家があり、着る服があり、食べるものがある。
朝起きて会社や学校に行く者もあれば、自宅で仕事や家事をしている者もいる。
何気ない、変わりのない、これが日常である。

あなたはこれを「当たり前」と考えるだろうか?

ありふれた毎日は、あなたにとって「当たり前」なのか。
ー私はそうは思わない。


これはまだアイドルとして活動していた時の私のツイートである。

言っていることは一般的なのだが、もう少し深いところまで触れると、私たちが「当たり前」と感じる事象は一種の”慣れ”であり、惰性であると考えられる。

毎日する食事や風呂、その他生活に関すること全てが私たちにとって”習慣”である。
習慣化したものはどうしても「当たり前」と感じやすい。
この習慣化した”慣れ”ほど怖いものはない。

もし、明日交通事故で手足がなくなったら。
今まで出来ていたことは何一つ出来なくなるだろう。

本当は習慣化したものも「当たり前」ではないのである。
今のこの日本のご時世で満足に睡眠や食事をとれない人々だっている。
貧困、病気、障害、世界をまたげば戦争だって未だ続いている。
だが、それを念頭に置いて「習慣化していることも当たり前じゃないんだ」と思いたいわけではない。

私は誰か、一般的に見た自分より弱い立場の人(ここでは上記のような人々)を下に見て「こんなに可哀そうな人がいる。自分は幸せだ。」と思うのは好きではない。

なぜなら、同じ人間であると同時に、同じように幸せになる権利がある人々だからだ。

それに、幸せかどうかは自分で決めることであり、「可哀そうだ」とこちらが勝手に決めつけるのも違う。
案外誰かを下に見て自分を上げている人も多いように見えるが、もしそう思っている方が読者の方にもいるのであれば、少し考え方を変えてみてほしい。


2.「当たり前」と感じないために

私は習慣化した”慣れ”を「当たり前」と思わないために日々していることがある。

それは、ただ、何かにつけて「ありがとう」と添えるだけだ。

これで本当に「当たり前」と思わなくなるのか?と言われそうだが、私はこの方法で様々なことが自然と「当たり前」と思わなくなった。

例えば、食事をしている時。
美味しいものを食べれば誰でも幸せな気持ちになると思う。
そんなときに、「美味しいものを食べさせてくれてありがとう」と心の中で言うのである。
別にそれが自分で作ったものや、自分で支払う食事だとしてもだ。
まずかった時も「食べれるだけ有難い、ありがとう」、これだけでいい。
全ての事象は「与えられたものだ」と考えると分かりやすいかもしれない。

このように、私は日々何かと「ありがとう」を添えるようにしている。
心が荒むときもこの一言で優しい気持ちになれる気がする。

一見馬鹿馬鹿しく思うかもしれないが、自然と「ありがとう」と言える習慣が身につくのでオススメである。


最後に、今日こうして、あなたが生きていること、この記事を読んでいること、それはけして「当たり前」じゃない。

本当に、ありがとう。



質問やメッセージはコメント欄へどうぞ。


最後までお読み頂きありがとうございました。



”歌う絵本作家”よねだ まみ

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”歌う絵本作家”として絵と音楽の融合を体現しています。 正式な出版を目指し、現在は自主製作で絵本やグッズの制作販売を行っています。 夢はCD付きの絵本を出版することです! ※サポート頂いた資金は活動費に充てさせて頂きます。

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