ハタノシステムの始まり

はじめまして。

これから少しずつ仕事・プライベート問わず、自分のこと、自分の考えること、自分の好きなこと、自分の信じること、自分の感じることを発信していきたいと思います。

まずは、私のことから。

私は、株式会社ハタノシステムで取締役を務めています。

この会社は祖父である波多野龍吉が1946年に創業した会社です。

第二次世界大戦でビルマ(現:ミャンマー)に出征していた龍吉が東京に戻ってきたのは1946年。東京は焼け野原になっていて、龍吉は大きな衝撃を受けます。そして、「これから日本が復興するためには、安定した電力供給が必要になってくる。」と考え、自家発電設備の事業をスタートさせました。

龍吉が34歳の時のことでした。

30歳で結婚して100日で召集令状が届き出征。

出征先であったビルマで命を落とした日本軍将兵の数は16万人におよぶとか。インパール作戦の失敗など、終戦直前まで過酷な状況での戦いが続いていたようですね。

国のために蒸し暑い異国の地で生死をかけた壮絶な戦いを経験し、帰国後には日本の復興を考え、すぐさま起業した龍吉。

非常用自家発電設備の普及に熱心に取り組む一方で

「戦争でアジアの国々に迷惑をかけたから。」

という理由で、昭和30年代後半から積極的にアジアの視察に出て、事業進出に取り組んだ龍吉。中国での合弁会社設立や中国人研修生の受け入れにもいち早く取り組んでいました。

我が祖父ながら、その志と行動力に胸をうたれます。

そして、私は龍吉の孫としてどんな人間であるべきなのか、どう生きるべきなのか、祖父が起業した34歳をとっくに過ぎてから、ようやくそんなことを真剣に考えるようになったのでした。

弊社では現在、かつて龍吉が大変な思いをしながら過ごしたビルマの地でUNSDGs(国連持続可能な開発目標)に取り組んだ事業を展開しようとしています。現地の人たちのより良い暮らしを実現するために、そして環境にやさしいエネルギーを普及するために、日々奮闘している私たちの姿を見て、祖父は天国で何を思っているのでしょうか。

応援してくれているといいな。



↓↓↓UNSDGsについてはこちらのページをご覧ください。

http://www.jp.undp.org/content/tokyo/ja/home/sustainable-development-goals.html



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