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12月6日(月)#日記 自由になろうと思えば自由になる。

本日の体重65.4kg、体脂肪率11%であった(朝食前)。

すこし増え気味である。昼食用に朝in barタンパク質20%を購入すると、いつものドラッグストアでは残数1であった。なかなか人気があるようだ。サラダチキンであれば食べたあと水気がある点で処理にちょっとこまるのだが、こちらは乾きものなので、処理は楽である。
昼食にこれと水を摂る。エネルギー271kcalである。

一日に必要な摂取カロリーはもちろん活動内容にもよるが男性の場合2200kcalくらいのようだ。271kcalでは少なめであるので、カロリー制限にはなるだろう。一方で朝食べて夜食べるプチ断食はできないが、この辺りは自身の体調を見て対応したい。

この体重管理でもそうだが、「ねばらなない=MUST」は厳禁だ。これは制限であり、ストレスに繋がる(意識してPOSITIVEなストレスとして採用する手はあるが)。「してもよい=MAY」の気もちがいいだろう。してもよい、には自身で自由に決める気持ちがある。

自由、とは徹頭徹尾自分である。自分=自由、とさえいえるかもしれない。

自由は、ともすれば「他人に制限されないこと」と混同してしまう。これは多分幼少期、被保護者として育つときの気もちからだろう。本当の自由とは、「他人はいない」つまり「比較がない(されない、しない)」ことである。

比較、というものが、全ての諸悪の根源である。比較をしないように、ということで分かりやすく「世界に一つだけの花」という考え方(歌)もあった。

このあたりを考えて、「自由になろう」と考えることが、自由になるスタートであり、ゴールなのだろう。

現実的な制限はもちろん無くならない。そもそも無くならないものなのだ。それをどう考えるのも「自由」。制限はあるが、縛られない、と決めれば、自由に近づくのだ。

自由になろう、と考えると、制限さえも、よき条件、自身が変化するための契機、よきストレスへと形をかえるだろう。見た目と効果は同じなのだが。

他人は変えられない、変えられるのは自分だけだ、という。

これと同じだろう。

外界(と認識している部分)は変えられない。自身の内面を変えるのだ。外界もさえとりこんで内面化してもいい。それであれば外界(への思い)は変えられる。これこそが唯一の、取るべき手段である。

判断を外に任せない。あくまで「参考情報」だ。同じ結論でも、自身の結論である、と思うべきだ。彼が言っているので、ではない。彼が言っているのを聞いて自分もそう思ったので、だ。

折に触れこのことを思い出さねばならない。エゴはなぜか、大切なこのことをともすれば忘れさせる。

(忘れるんですよねーーー)

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