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日記8月27日(金) #日記 たかり。

昨日帰宅時62kg、7.1%。本日朝食前62.1kg、10.8%。

体重は63kg位まで戻そうと思っている。大学時代に63kgだった記憶があるので、それより低いのはどうか、と思っているのだ。

ということで?、名古屋栄の味噌カツ発祥の店という「味処 叶」さんへお邪魔したところ、コロナで土日昼営業のみとなっていた。残念ではあるが、場所が分かったのでまた落ち着いたら寄ってみたい。

ということで同じ栄の地下にある酒津屋 中店へ。味噌カツ定食1040円、エビカツ単品550円を頂いた。

こちらのお店には初めてお邪魔したが、創業50年、下町価格ということでなかなか気に入った。現在名古屋はまんぼうということで、酒類提供がない(この略称は魚のまんぼう関係者に不評でしたね(笑))

酒提供がないと知ると入らない客もあったので、店としては厳しいところだろう。頑張っていただきたい。

私は酒好きというわけでは実はないのだが、なんとなく文化というか、飲むのが大人だ、という感じでいままですこし飲んできた。そしてなにより営業職が長かったので、そこはとにかく“飲み接待”であった。

その後一日20g位のアルコールを飲む人が一番長生きだ、という記事を読み、東京で一人暮らしの際は健康のためということで、サラダチキン、サバ缶、トマト、ブロッコリー、ヨーグルト、ナッツ、マヌカハニーなどと共に健康増進品として缶チューハイ250ml缶を律義に1缶飲み続けたものだ。

その後の記事で、酒を飲まない人の死亡率が20g飲む人の死亡率より高い理由は、そもそも健康不良で飲めない人、そういう人は病気がある場合もあり死亡率が高く、その結果飲まない人の死亡率が上がっただけであり、健康で飲まない人だけでいくと死亡率は20gのむ人より低くなる、という考えてみると当たり前の記事を読んだ。

先週土曜、中川翔子さんのアニソンアカデミーを聞いていると、96歳でマジンガーZ作曲等で有名な渡辺宙明先生が電話口に出られた。96歳でお元気な秘訣は、としょこたんが振ると、まってましたとばかりに日々の健康目標があふれ出てとまらない。そこで宙明先生は、上記の”少量の酒を飲むと健康にいい”説の誤りを説かれ、果物の糖はいいようでよくない、ビタミン剤等を多く利用している、と熱弁された。

普段96歳の方の声を聴くことはまれなので、大変勉強になったが、やはり電話での会話は聞き取りがすこし難しそうな気がした。

話が長くなったが、私が言いたかったのは、まあ、酒は毎日のまんほうがええなあ、と思っているということである。たまに、あまりよくないものだが誕生日ケーキのような感じで、飲むのがいいかなあ、と思っている。

つまりは普段は酒をなるべくのまないようにしようと思っている、ということだ。サイゼイアに行けば、赤白ワインデカンタ250mlが200円なわけだが、ぐっと我慢してひとグラス100円でゆく、ということだ。

件のアルコール摂取量の話では、ワインひとグラス位が、一日に飲む量の健康限界ということなので。

まあ、このあたり、実は義務感ではなくゲーム感覚でやっている。無茶苦茶我慢している、我慢自体がストレスだ、となるとこれは逆効果だ。多分会社かえりに酒を飲んでいたのは「のどが渇いていたから」という面も強い。試しに韓国果実酢ミチョを炭酸水で割ってガブのみすると、案外満足する。

アルコールを飲んで安直に幸福感を得るパターンが身に刷り込まれすぎると、そこから抜けられない(ストロングゼロ9%缶500mlx2だと、アルコールが多すぎる)ので、そこは意識していきたいと思っている。

ということで、酒提供がない酒津屋さんで、まあ問題なかった、という話である。見てみるとこのお店、名前に酒が入ってますね。厳しそうだなあ。。

たかりについて。

昨晩、上記の店訪問後歩いて駅に向かっていると、「500円助けて」と年配女性から頼まれた。

実はこのあたり、申し訳ないが東南アジア系の若い女性が毎日、寄付お願いします、ということで声をかけてくることが多かった。最近は減ったが、初めての時は確か100円位寄付した記憶がある。

その後調べてみると、本当に寄付なのかがよくわからなかったので、それ以降は無視することにしている。無視していると、”チッ”と舌打ちされたことがあり、これはもう金輪際寄付はしない、と決めている。そもそも”寄付”という言葉を使っている点で疑問である(ただ彼女たちの国では、舌打ちは普段普通に行っている行動なんだなあ、ということも感じた。日本でやると強烈だよ、ということは管理者?は教えたほうがいいのではないかとおもうが)。

ということで、一瞬警戒したが、どうにも困っている雰囲気であったので、500円を渡した。渡すとしきりに感謝され(そらそうか)、オニイサンハンサムだ、とか、洋服の青山のようだ、とか(量販店だとあまりうれしくもないが)ほめそやされた。そしてなんとか帰れる、と言っていた。

なんというか、いろいろ感じたのだが(果たして渡してよかったかなど)、とても困っていたのであれば悪くはなかったのかもしれない。

そのことで、遠い昔の「たかり」のことを思い出した。中学1年生の時、休日に詰襟で姫路駅のデパートに行ったとき、不可解にも同じく中学生(3年位のイメージ)に「10円めぐんで」と言われた記憶のことだ。

中一なので”たかり”のイメージはあり、”すわ、これがたかりか”と思ったのだが、いやまてよ、なぜに10円?ということも思った。

個人的な性格か、まあ、10円わたして終了したのだが(断るのが苦手)、果たしてあれはいったいなんだったのか、という疑問は自分の中で長く続いた。

その後なんとなく、いわゆる新入社員の根性付けで東京駅で名刺をもらいまくる、という儀式と類似の、先輩による根性付け行為ではないか、と思うようになった。小さな悪で根性つけれ、というやつだ。

まあ、断ればよいのかもしれないが、休日に詰襟の中学一年生、という時点で大変立場が微妙である。あそこはあれで、仕方なかったかなあ、と思っている。

(出せない金額のたかりは幸いにもいままでありません。そして中一の経験から、一般社会では不意にタカリのような人間が来ることがある、と学び、「つけいられない雰囲気」を醸し出すようにその後努力したという意味では、10円は役に立ったかなあ、と思います)

お志本当に嬉しく思います。インプットに努めよきアウトプットが出来るように努力致します。