1月18日 ドリトル先生と、アクセル・ムンテ先生の共通項。
アクセル・ムンテの「サン・ミゲール物語」を山田稔氏の著作で知って読んでいるが非常に面白い。
パリで当時最年少の医師資格を取得したスウェーデン人医師の物語である、として読みだしたが、どうやらそれだけではない。
まだ途中だが、「大きな大人」である著者の晩年の人生回顧録、であるが、彼はどちらかというと人より動物に共感する。どうしようもなく。
動物はほとんど無条件に彼に惹かれ、一緒に過ごす。彼の生い立ちは、彼の表現に寄ればだが、まるでエルフやドワーフ界に生まれるべきものが、間違えて人間に生まれてしまった、とでも表現すべきものだ。
ここで思い出したのは、私が幼少時から大好きな「ドリトル先生」だ。もともとはDo Littleという意味で、どちらかというとバカにした呼称であるのだが、日本語であることの不幸と幸運で、全然「ドリトル」と聞いても「ドクトル、みたいなものか」と思う始末である。
先生はご存じの通り動物の言葉をしゃべるのだが、リアル回顧記であるはずのこの「ムンテ先生」の物語でも、動物の心がわかりすぎる先生による動物たちの心の描写はそのままドリトル先生の一挿話としても違和感がないくらいだ。
この本が欧米で人気があるのが頷ける。残念ながら日本では有名ではなく、こうして図書館で数十年前の本をなんとか借りだせるレベルであるが。
ドリトル先生を読みすぎたのか、私は動物園が嫌いで、つまりは「罪のない」動物が、勝手に「誘拐」されて、「刑場で見世物に」されている、としか見られなかった。
だが最近は縁あってその子たちの世話をすることになった人たちが、たぶんいい人なのだろう、という推察もあり、すこしでも良い生活をしてくれているよう祈る気持ちで動物園に行けるようになってきた。
日々道路で野良犬や野良ネコを見ても祈る気持ちとなる。
なにもできないでごめん!!なんとか車に轢かれずにできるだけ幸せになって!!!
心でそういうのが精一杯の偽善者だ。。
引用文とあまり関係のない記述となってしまった。
だがそんな経験や記憶が、象徴的な意味で、刻一刻アカシャ年代記に刻まれている、などと夢想すれば、それはそれで少しなんだかおもしろくはある。
(たんなる思考の遊戯ですね(笑))
お志本当に嬉しく思います。インプットに努めよきアウトプットが出来るように努力致します。