驚愕

昨日は、厚生労働省人生会議(ACP)国民向け普及啓発事業に関する検討会に委員として出席しました。
普及啓発事業に関する検討会なので、事業受託側と話し合っていくことになります。

私が驚愕したのは、2019年の人生会議ポスターの件を、『お笑い芸人を使用したことで起こしたこと』として研修をしている方々がいるということと、『起用された芸人を傷つけてしまった』という事業者側からの発言です。

あの一件で、意見を出した患者会側にはバッシングが押し寄せ、精神的に追い込まれてしまった人すらいたのです。昨今、SNSを通じた誹謗中傷が原因で自らの命を絶ってしまう事例が続き、問題視されていますが、その可能性もあった状態でした。
何が論点であったのかを勝手に解釈して発信することが、誤解を生み、結果、当事者が不必要に傷つくことになってしまったのだと思っています。
そして、厚生労働省は圧力に屈したのではなく、届いた意見の趣意を理解したからポスター発送を止めたのだということが真実なのです。

事業というのは、予算がついていて、何らかの形で成果を示さなくてはならないものであることはわかります。
どうしても『HOW』視点となり、スケジュールが先行し、事業担当者からは、さらに『この事業を通じて、多くの国民が人生会議をした』という数を目的とした提案がなされがちです。
普及啓発のHOWとして、感情に届きやすい言葉を造語する、SNSで拡散するなどの手法は、言葉の独り歩きへの懸念を抱きます。

昨日、検討会委員から繰り返されていたのは、『HOWではなくWHAT』 ということです。
何を理解に繋げたいのか。
他人に向かってDOを望むこと自体が慢心ではないか。
各委員から、率直、かつ核心を衝く意見が出されており、この様子を見てもらうことが一番理解に繋がるのではと思うほどでした。

※私の幾つかの経験、患者会として日々接する旅立ちから、人は、『こうあるべき』と『迷惑をかけたくない』という視点から様々な選択をしているということを感じています。
周囲の人に『延命は望まない』と話したとして、現に、目の前の状況は『延命なのかどうなのか』ということは、冷静になれず、専門性もない状況では判断ができません。
一般的に、人工呼吸器や胃ろうなどが、延命というイメージを持たれやすいのだと感じていますが、現在の状況からもわかるように、人工呼吸器によって、元の生活に戻れる状況があるからこそ、これらの医療行為が存在しているのではないでしょうか。

自分で選択ができなくなった時、代わりに選択をするのは、自分の大切な存在の人です。
これ以上は考えられない選択であっても、人の命に関する選択をした重みは生涯消えるものではありません。その負担を少しでも減らすために、意思を伝えておくことは大切です。
そして、いざ、その時には、医療者、専門性を持つ方と共に、その状況を正確に理解し、医療者と共に選択していくことこそが大切なのだと、私は思っています。

全国胃がんキャラバン、多くの人にがん情報を届けるグリーンルーペアクションに挑戦しています。藁をもすがるからこそ、根拠のある情報が必要なのだと思い、頑張っています。