偏屈おばさん…?
これから、セミナーでお話をしてきます。
与えていただいたお題は
『遺族の希望は×××のために』
うーむ…難しい。
考えた時間は、自分に向き合うことにもなりました。
【自分のために】
こうストレートに言ってしまえば、何だ?になると思いますが、とどのつまりは、自分のこととして考えなかったら、行動は難しいとも思います。
夫の命を無駄にしたくなかった
そして、夫も私もがんだけの人生ではない。
生まれて、歩んできた日々の途中に、たまたまがん
があっただけで、その先の日々もある。
続いてきた自分の人生を歩いているのが、今の私なんだと思っています。
【偏屈おばさんみたいだな】
私は、キャンサーギフトや、がん教育に、必ず何か一言を言うからか、ある時、キャンサーギフトと言いかけた人が、「あ、轟さんがいた」と口を閉じました。
いつもネガティブな捉え方をする偏屈おばさんみたいに思われているのかなと感じた瞬間でした。
がんと言われ、狼狽しない人はいないんじゃないかと思っています。
何かを諦めてきたこともあるでしょう。
そこを受け入れて生きていく時、きっとこの人生にも意味がある と思うことはあると思うし、私だって、そう思っています。
家族を喪ったことは哀しいけれど、あのまま、安穏と生きていたよりも、たくさんの人に出会えて、わかったことも多い。
ギフトというのは、そこを言っているんですよね。
わかっているのです。
ただ、『明るい』は受けいれられやすい。
ネガティブなことは避けられてしまいやすい。
明るくなれなくてもいい。
唯一無二のものを失った経験に、、私はギフトという言葉を使えないだけなんです。
【ギフト】という風に思えないことが、弱いことじゃないとも思いたい。ひとつのパターンに当てはめられていくのは違うなということを、私は言いたいのだと思います。
神様は、乗り越えられない人には試練は与えない
ご主人は、いつも、あなたの側にいる
私のことを想い、かけてくれる言葉なのだから
素直に受け入れればいいんだと思うのです。
いや、私も社会的に生きているので、日常、そんな場面でいちいち反論したりしないで、ありがとうって言っています。
患者会の代表として意見をする際には、意見を伝えます。
でも、こういう発信をすると、偏屈で、また何か言うぞと思われるんだろうなとも思っています。
それが、発信するなら覚悟しようと胸にとめている理由です。
【がん教育についての意見】
私は、『生きているだけで金メダル』や『無罪』という言葉について、先日、発信しました。
知り合いの中に、その言葉を使っている方がいるのですから、当然、私の発信を目にしたら、ザラっとした気持ちにさせてしまうこともわかります。
ただ、私は個人を非難しているのではなく、その方々が、ある使命感を持って活動されているからこそ、共感だけに包まれて突き進んでいくのではなく、深めてほしいなと願っているのです。
意見が違うと、敵味方みたいに見られるのは虚しい。
いろんな意見を出し合い、本当に目指したものになってほしいと願っています。
先日は、ちゃんと、私に連絡をしてきてくださり、お互いの意見を話し合って、私も知ることができたことがありました。
有難いことです。
意見がぴったり重ならなくていいのだと思います。
パズルのピースみたいに、それぞれが出来ることをしていけば、世界は広がっていく。
違いを認め、それぞれが頑張ることを応援していけたら、社会はもっと潤っていくんじゃないかと思っています。
【本当は弱い】
私は、強いとか、行動力とか、時に武闘派とか言われたりします。
本当は可愛いんだけれどなぁ(笑)
自分のことより、この人の力は素晴らしいなと思う人を支えたいタイプなんだと、自分では思っています。
つまり、内助の功になりたいタイプ。
先頭を歩くことが好きなわけでもなく
あるとすれば、危険があるなら私が先に行くって気持ちかな。
ただ、見えているイメージも、私なんだと思います。
考えたら、いい年になっています。
残された日々にも必ず終わりが来る。
だったら、人に迷惑はかけちゃダメだけれど、
自分が自分の生きてきた日々を懐かしく振り返れるように、好かれるために自分を飾ったりしないで生きていきたい。
『いい人生だった』と思いたいし、思えるよ!と信じている。
それが、私の希望です。
全国胃がんキャラバン、多くの人にがん情報を届けるグリーンルーペアクションに挑戦しています。藁をもすがるからこそ、根拠のある情報が必要なのだと思い、頑張っています。