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「一番好きな映画教えてよ」がもたらす好きなものを好きと言えない怖さ

「一番好きな映画教えてよ」


多くの人が頭を悩ませる言葉のひとつではないでしょうか。

「趣味はなに?」と聞かれた時に「映画鑑賞」などと言ってしまうと、即座に「一番好きな映画は?」「ベスト10を教えてよ」と言われること、ありますよね。

確たる一本があって、即答できる人は素敵ですが、なぜ「一番好きな映画を答えること」に困ってしまうのか。

主には3つの理由があります。

ひとつは、「好きな映画を一本に決められないから」。

面白い映画にはたくさん出会ってきました。好きな映画もたくさんあります。

ただ、それを一本に絞ることの難しさを理解して欲しいのです。

例えば、

「人生で最後の食事は何を食べたい?」という質問、よくありますよね。この質問に即答できる人は少ないはず。私もできません。

恐らく、即答できる人も多くは「焼き肉!」「やっぱり寿司でしょ」「ラーメン一択」なんて答えが多いはず。

ここでいう「焼き肉」や「寿司」「ラーメン」は、映画で言う「アクション」や「邦画」と同じなんです。つまりジャンルなんですよね。

好きな映画を一本に絞ることは、「焼き肉」なら何の肉のどの部位が好き、「寿司」なら何のネタで握りなのか軍艦なのかといった答えに匹敵するんです。

そこまで考えた上での「好きな一本」となると、即答はできないですよね。時間をください🙏

2つ目の理由は「気軽に答えられない」から。

多くの場合、質問する人は気軽に「一番好きな映画教えて」と言います。

『〇〇』と作品を答えたとき、相手がその映画を知らない場合もあります。

そんなときは、監督は〇〇で、誰が出演していて、どんなストーリーでどこが好きなのかを説明したりしますよね。

経験上、相手に説明したとしても、返ってくるの答えの多くが、

「ふーん、そうなんだ」や「面白そうだね〜」

もちろん、その場で「面白そう、観てみるね!」と言ってくれて、後日ちゃんと感想を伝えてくれた素敵な人もいるけど、多くの場合は、悪気なく気軽に質問することが多いです。

何が言いたいのかと言うと、「一番」という言葉をつけずに「どんな映画が好き?」と聞いてほしいだけなんですよね。

そうすればいくらでも気軽に楽しく話せると思うのです。

え、めんどくさいって?すみません!まぁ、深く考えすぎるのもよくないですね。

でも、気軽に答えられないのには、3つ目の理由が深く関わってくるんです…。

3つ目は「映画好きマウントを取られる場合がある」から。

3つ目は厄介なもので、一番書きたかったことなのですが、いわゆる「マウント」というやつです。

「ニワカが好きな三大映画」を発表する記事がありました。

・『ショーシャンクの空に』
・『レオン』
・『パルプ・フィクション』

上記の3作品が紹介され、一番好きな映画としてこの作品を答えると、ニワカだと思われてしまうとのこと。

この記事を真に受けるかどうかは置いておいて、「好き」とは何かについて考えてみます。

「好き」って、「その時の気分や経験によって変わるもの」じゃないですか?

何かを「好き」になる瞬間って、その時の状況や今までの経験によってもたらされる感情ですよね。

私の友人で、「趣味は映画鑑賞」「映画が好き」と気軽に言えないと話す人がいます。

その人は「自分の好きなことを言うのが怖くなってしまった」と言います。

「一番好きな映画は?」
「年間で何本映画観てるの?」
「映画好きなのに〇〇観てないの?」

その人は、これまでの経験から、上記のようなことを質問され、いわゆる“映画マウント”を取られて困ってしまったというのです。

その経験から、観た映画の本数を気にするようになってしまい、ノルマのように映画の本数を数えるようになってしまった時期があったそう。

純粋に映画を観たいという気持ちが「映画を消費している感覚」に変わってしまったと語るのです。

映画に限った話ではありませんが、ライトユーザーを「ニワカ」と表現する風潮がありますよね。

ただ、自分の「好き」を語る時に、必ずしも詳しくないといけないのでしょうか。

もちろん好きだから、もっと知りたくなって、結果的として詳しくなるのは間違いないです。

話を映画に戻しますが、一番好きな映画を『ショーシャンクの空に』と答えたとします。

先の記事で言えば、『ショーシャンクの空に』は「真の映画好きが選ばない映画」らしいです。

「真の映画好き」って一体なんでしょうかね。

「観た映画の本数が多い」「映画に詳しい」こと?

映画が好きと一口に言っても、いろんな「好きの形」がありますよね。

物語が好きだ、音楽が好きだ、キャストが好きだ、雰囲気が好きだ、などなど。

その作品を見る人の経験や、生きてきた環境によって受け取り方が違うのは当たり前。

それなのに「詳しい」というものさしで人の好きを比べることに何の意味があるのでしょうか。

好きだから語りたいし、誰かに知ってほしいし、意見を言いたくなる気持ちはよく分かります。

一方で、「誰かが好きなことは、他の誰かは好きじゃないかもしれない」。

この記事で伝えたかったこと、それは「人の好みに正解や正しさなんて存在しない」ということです。

島国気質なのか、日本では「正しさ」や「正解」を追い求め過ぎな風潮があります。

その人が「好き」と言ったものに対して、他人が「えー、あれ好きなの?」「そんなんじゃ好きとは言わない」なんて言う必要がないのです。

友人は、TwitterなどのSNSでも、気軽に感想を言えないと話していました。

世の中の反応をみて、「自分の感想がずれていないか、間違っていないか」を気にしてしまうというのです。

繰り返しますが、映画の感想は人それぞれです。そこに正解なんてものはありません。

当然ながら、好きな映画が嫌いになることも、嫌いだった映画が好きになることもあるのものです!

もちろん、表現には注意が必要です。

個人を攻撃したり、特定の団体や性別などを蔑んだり、それに準ずる表現をすることはやめましょう。

SNSで誰もが気軽に発信できる一方で、それは誰もが影響力を持っていることを忘れないように。

「大いなる力には、大いなる責任が伴う」

誰もが言葉(文字・言語)という力を持っています。

つい感情のままに、過激な言い方をしてしまうこと、誰もがあると思います。私自身も気をつけます。

映画や映画館離れが加速する現代ですが、「映画好き」が映画という文化を閉じたものにしてしまうのはもったいない。

多くの業界にとって、ライトユーザーが重要であることは言うまでもありません。

ライト層がいることで、よりその業界の裾野が広がっていくのです。

映画に限らず、文化を閉じたものにしたくない。もっともっと開かれたものであってほしいのです。

「映画が好き」という事実に、上も下も、正解もありません。

あなたの「好き」はあなただけのもの。堂々と発信して大丈夫です。もちろん、映画に限らずです!

だから私は自己紹介するときに、まず堂々と「映画が好きです」と宣言しています!

映画に限らずですが、好きなものを好きと言えない世の中じゃポイズンですよ。




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