私の譲れない条件は「仕事を続けること」

22歳から6年間、私はITベンチャーでWEBディレクターをしていて、プライベートと仕事の境界線がない生活を送っていた。辛いことも多かったけれど、頑張れば頑張るだけ増えるお給料、だんだん大きくなっていくプロジェクトのスケール…なによりも自分の存在が肯定されている気がして嬉しかった。昼夜問わず掛かってくる電話や、少々の徹夜はたしなみくらいに思っていたし、これからもずっとそんな生活を送るものだと漠然と思っていた。

27歳の秋ごろ、8年間も同棲した初めての彼氏と別が訪れる。長く時間を共にしたことで、惰性での付き合いになっていたことはわかっていたつもりだったが、いざ別れる…となると、その喪失感たるや想像以上だった。おそらく気づかないうちに、共依存になっていたのだろう。息を吸えば涙が溢れ、一度目覚めれば眠れない生活が続いた。仕事も手につかないまま、半年が経過。頑張って積み上げてきたものも、崩れるのはあっという間。閑職へと異動になった私は絶望し、会社を辞めフリーランスのWEBプランナーとして生計を立てることを選択する。(時が経ち冷静に考えると、異動は私への配慮でもあったんだなぁ…と、当時の自分の幼稚さに恥ずかしくなる。)

元居た会社が受けきれない仕事を回してくれたり、過去に一会社を通して仕事をしたクライアントさんが声をかけてくれたりしたことで、波はあったものの、食べていくのには困らないくらいの収入を得ることができたのは本当にありがたいことだった。

大失恋から1年が経過し、仕事も順調。しかし30歳が近づくにつれ、結婚への焦りを感じはじめた。社会人時代と比べると人との接点も少なく、このまま一生誰からも愛されずに何十年も生きるのかと思うと、どうしようもなく不安な気持ちになったのだ。

思い立ったが吉日。大枚をはたいて「自分磨き」のため、大人の女性のマナー講座なるものに通い、週3日のペースで合コン。しかし、そう簡単に成果は上がらず…。100本ノックのごとく出会いの場に顔を出したにも関わらず、結婚はおろか恋愛に発展する気配すらないまま、半年が過ぎた。

そんなある日、中央官庁勤務の公務員5人組との合コンが催された。婚活女子にとって、これ以上ない優良案件である。この「ここぞ!」という場面で、意気投合した男性と後日2人でお食事でも…という約束を取り付ける事に成功した。久しぶりのデートに心はときめき、このまま付き合って、結婚しちゃうかも…?なんて、浮かれずにはいられなかった。

そんな、楽しみにしていたデートの中身は、もちろん雑談だってふざけた話だってあったが、想像していたようなドキドキするような駆け引きなど一切なかった。官庁ではまだまだ「結婚してこそ一人前」みたいな風潮が残っているらしく、30歳を過ぎた彼は、次の彼女とは結婚を見据えた付き合いをしたいという強い意志があり、話のメインは、お互いが"結婚相手として「良し」とする条件"のすり合わせだったように思う。

「仕事はやめられますか?」

転勤、社宅付き合い、子育て…。自分が効率的に仕事ができる環境を整えるためには、役割分担として、妻になる人には「家庭:100」で担って欲しいと考えている、と彼は言った。

私は、というと、結婚して仕事を辞めるなど、考えたこともなかった。

母は共働きで、私は鍵ッコだった。それを疑問に感じたこともさみしいと感じたこともない。そして自分も同じように、共働きの母になるのだろうと思っていた。

そして、彼の望むような「妻」の役割ができるか…と問われれば、それは難しい相談だった。家事は一通りできるものの得意ではない。どちらかというと人付き合いは苦手なほうだし、集団より一人が好き。そして、自らの収入がなくなることにより、自由な選択ができなくなる(買い物や旅行はもとより、ここでは離婚という意味合いが強かった)ことは恐怖でしかなかった。

「妻でも働く」
「ママでも働く」
(柔ちゃん風に)

彼と話すうちに、結婚における自分の「譲れない条件」は、結婚しても仕事を続ける、ということだとハッキリわかった。

結局彼との縁はそれきりだったが、それは私が結婚というものに正面から向き合う転機となる出来事だった。結婚を視野に入れたお付き合いをするためには、

●フィーリングが合う
●自分の「譲れない条件」を受け入れてもらえる
●相手の「譲れない条件」を受け入れることができる

この3つの条件を満たさなくてはならないのだと思い知らされる。運命の人に出会って、年老いるまで一緒に…というふわっとした気持ちでいた私にとって、そんなことは一生叶わないような気がして、気が遠くなった29歳の冬。

それからおよそ1年半後。私は31歳で結婚し、32歳で出産することになる。

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