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久しぶりに会った父はえらく角がとれていた

帰省したのは何年ぶりだろうか。
ジャスコも潰れて新しいショッピング施設になり
美味しかったうどん屋も潰れていた。
新たな埋立地には知らない会社が建っていた。
もう何年も何年も経ったんだ。

私の地元には父と祖母だけが暮らしている。
父と母は離婚し、母は出身地である関西へ帰った。
私と妹は大学進学を機に関西へ出てきた。

父は祖母の介護をしながら
60近い体に鞭打ちながら肉体労働をして
収入を得ているようだ。

ようだというのも、現在の父の状況を
あまり理解できていないという現状がある。

ずっと音信不通だったからだ。

妹も私も父が好きだ。

父と母の仲が悪くなってからというもの、
母はあまり子育てに参加しなくなり
自営業だった父が私たち姉妹を育てた。

不器用な父だったが、
心から感謝している。

だから姉妹揃って父が好きだ。

しかし何年か前、自営業だった父の仕事がなくなり、父は路頭に迷った。

その時には大学に進学していた妹と私。

「大学の学費も振り込める大丈夫だ」と
直前まで言っていたが、納付前日になって
やっぱり用意できなかったと謝られた。

親戚の力を借りてその場はなんとかなったが
卒業まで後一歩というところで
危うく退学になるところだった。

父はいつもギリギリまで自分でなんとかしようとする。

かっこよく見せたいからか
父としての威厳やプライドからか
家族には頼ってくれない。

昔からそうだった。

学費の件もあり
金銭的に辛い状況なのだとわかったが、
そこからプツリと連絡が取れなくなった。

どこにいるのか誰といるのかわからない。

妹の友達からの目撃情報もあり、
街にはいることが分かった。

仕事は建築の現場仕事をしているようだった。

でもわかるのはそれだけ。

みんなで住んでいた家も売りに出したようだし、
わからないことばかりだった。

今は連絡もあまりできないと父からLINEがきた。

そこからは、どうしてる?と
たまにLINEを送るだけ。

返ってはこなかったが
既読がつけば生きているのだと安心した。

大学を卒業し、仕事が忙しくなった私は
父もなんとかやっているだろうと
あまり考えすぎないようにした。
ただ、父への連絡は定期的に行なっていた。

既読はつくが、返信がない。

ある時、いつまでも返事がない状況に私は怒った。
なんで連絡くれないの?!と

「ごめんね。大丈夫だけどまだ会えない」
そのような言葉が返ってきた気がする。

そこから半年ほど経って

「やっと落ち着いた」
ついに父から連絡がきた。

私は何年ぶりの帰省をすることにした。
いつもの高速バスで向かう。
本当に久しぶりだった。

車で迎えにきてくれた父は
真っ黒に日焼けし、痩せていた。

「おう」と少し照れくさそうに話す父。

「久しぶり」と
泣きそうになるのを堪えて私は車に乗った。

小さな時は後部座席の真ん中から
運転席側に乗り出して
景色を見るのが好きだった。

父の運転する車だ。本当に懐かしい。

連れてこられた先はハイツだった。

家には1人の女性がいた。
今付き合っている方なのだろう。
とても優しそうな方だ。

初めましてと自己紹介を済ませ、
取り止めのない話をした。

途中、父が席を外した。
用事で出かけなければならなかったようだった。

2人になり、私は連絡がつかなかった間の父のことを女性に尋ねた。

仕事がなくなり、
苦しい時期にこの女性と出会ったようだ。
そして女性は言いにくそうに話だした。

父は死のうとしていたのだという。

死のうと山にいったが、どうしても無理だった。
そういって家に帰ってきたのだという。

女性は泣きながら話してくれた。
私も涙が止まらなかった。

それは一度だけだったらしい。
それからなんとか仕事も決まり、
やっと落ち着いてきたのだという。

辛い時にそばにいてくれた女性に
心から感謝した。

昔からすぐに機嫌が悪くなる父。
自分の非を認めない父だったが、
すまんと言うようになっていた。

角が取れてまるくなったように思えた。

しかし私は父には何も聞けない。
いつもかっこよく元気な父でいようと努める。
昔からそうなのだ。
仕事のことを聞いてもはぐらかす。
父はいつも取り繕う。
不機嫌にはなるがしんどいとは言わない。
私たち姉妹に相談は決してしない。
いつまで経っても父はあの頃の父でいようとした。

帰る時間になったが、
私はついに辛かったんだねの一言も言えなかった。

肝心なことを父に何一つ聞けないまま地元を後にした。


あれからさらに5年ほど経った。
父はその時の彼女とは別れたようで、
介護が必要になった祖母と2人暮らしをはじめた。
そこからちょくちょく私も地元に帰るようになった父はさらに黒くなって痩せぽちになっている。
見栄っ張りは相変わらずだが、
帰るたびに父の表情は柔らかくなっていた。

ばあさんのことが落ち着いたら京都に住みたいなぁ

歴史が好きな父は京都に住みたいと
そうボソッというようになった。

「きっと楽しい。私もすぐ遊びにいけて嬉しい」
と私が言うと
「こんでええ」
と父はいう。
「子どもが生まれたらいっぱい連れてくね」
とまだ予定はないが私がいうと
「こんでええ」
と父はいうが
きっと喜んで抱いてくれるだろう。

肝心なことはまだなにも聞けていない。
どんな話でもしてほしいのだが、
父からは話し始めることはないのだろう。

いつか話を聞くことができるだろうか。

父のことを知ることができるだろうか。

私はちゃんと、
父と向き合うことができるのだろうか。


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