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『母を捨てるということ』

この記事は、おおたわ史絵氏の著書である『母を捨てるということ』のレビュー記事である。
 
 
 
 

私は、学生時代は読書が趣味といっても良いほどに本を読み漁っていたが、最近ではめっきり本を買うことは減っていた。

そんな私が本書を購入したのは、ちょうど発売日である2020年9月7日、いつも読んでいるネットニュースで見かけたことがきっかけだった。

おおたわ史絵氏のことは、メディアで時々見たことがあったが、医師でありコメンテーターであるということくらいしか知らなかった。

目に飛び込んできたのは、「母を捨てるということ』という衝撃的なタイトルと、本の帯に書かれている言葉だった。

『「いっそ死んでくれ」と願う娘と「産むんじゃなかった」と悔やむ母

『依存症に陥った母と愛されたかった娘の40年』 
 
 
 

それを読んだ次の瞬間には、購入ボタンを押していた。

「私と同じだ」…そう思ったからだ。

母から愛されることを心の奥で願いながら大人になり、その日が永遠に来ないことに気がついた時の絶望感。

そして、これまで幾度となくフラッシュバックを重ねてきた母の言葉が蘇った。

「あんたさえ産まなければ、お母さんの人生まともだったのに!あんたのせいで人生めちゃくちゃだ!」

打ちひしがれて人に話すと、必ず言われた。

「そんなの本心じゃないよ、愛情の裏返しだよ」

しかし、そんなはずがないことを私は知っていた。

幼い頃からずっとずっと、私は母の顔色を伺い続け、母に愛情があるのかどうかを心の目を凝らして見続けてきたのだから。

私は結婚を機に、母から縁を切られるという形で母親を見捨てた。

母のいなくなった今の生活は、人生で初めてのとても平和で幸せなものだが、その奥で母の呪縛は生き続けている。

私は知りたかった。

おおたわ氏が苦しんだ末に母親を捨てたというのならば、その先にあるものは何なのか。

彼女が母親の死に何を感じたのか。

どのようにして母親の呪縛を解き放ったのか。

私自身が将来行き着くであろう境地についてどうしても知りたくて、本書を手に取ったのだ。
 
 
 
 

第一章は、筆者の幼少期の出来事から、母親が薬物依存に陥るきっかけとその過程について書かれている。

略奪婚をしたことで周囲から後ろ指をさされた母親が、自分の価値を上げるためにエキセントリックな教育ママとなったこと。

誰よりも良い出来でなければ周囲では制御不能になるくらい激しく怒り、母親の期待通りであっても褒められることは一度もなかったこと。

母の気性のアップダウンが激しく、常に顔色を伺って生活していたこと。

母が見た時にたまたま勉強していなかったという理由だけでタバコの火を向けて脅されたこともあったが、家族である父親にすらその事実を打ち明けることもできなかったそうだ。

そんな中で著者の母親は、合法だけれども危険な薬物の依存症へと足を踏み入れていく。

ここでは、子どもの自傷行為にも触れられている。

爪噛み、チック(意図しない運動や音声が急に繰り返し出現することで日常生活に支障をきたす症状)、抜毛症などが、学童期の子どもに起こりやすい自傷行為で、精神的な不安定性が原因となることが多いのだという。

そのような環境で育った筆者が、薬物依存によって変化していく母親に対して感じていたこと、そして自身が医師となりその異常性に気がつき、改善させなければならないと決意するまでのことがこの章では綴られている。
 
 
 
 

第二章は、親子の薬物依存との闘いの章である。

今現在も、薬物依存を専門的に診れる期間は限られているが、当時は依存症がれっきとした疾患がという概念すらほとんどの医療関係者が持っていなかったそうだ。

そんな中でたどりついた依存症専門外来で、筆者本人が「依存症家族に対する治療」を受けたことに触れられている。

患者本人ではなく、家族も治療する必要があるということは、多くの人には想像しづらい事実ではないか。

しかし、依存症においてはじめに症状が出てしまうのは当事者本人ではなく家族だという。

そして、家族が問題を理解し変わらなければ、患者本人の病状も悪化させてしまうというのだ。

患者家族のセラピーについて知ることができるというだけでも、この本を読む価値があると思う。

「患者家族の治療」が必要なのは、おそらく薬物依存症だけではないはずだ。

その存在を知り、家族に必要なセラピーを受けることで、人生が変わる人も多くいるのではないかと感じた。

そして、この章には私が知りたかったことも書かれていた。

「母親を捨てた筆者が、母が死を迎えたときに何を感じたのか」

「母親からの呪縛は解けたのか」

「この苦しみから完全に解放される時とは」

それは、私の想像とは異なるものであり、悲しい答えではあったが、私はずっと恐れていた母の死の瞬間が少し怖くなくなった。
 
 
 
 

第三章では、母親の死後もなお薬物依存に向き合う筆者の活動と、薬物依存症の患者やその家族に対するメッセージが綴られている。
 
 
 

 
私自身についてお話しすると、私もまたおおたわ氏と似た子ども時代を経験し、自己肯定感の凄まじく低い人間に育った。

ずっと母親との関係に悩んだが、最近になって母が人格障害であろうことがわかった。

筆者親子と私たち親子のエピソードでは重なる部分がとても多く、他人事とは思えなかったのだが、筆者の母親もまた境界性人格障害だろうということが書かれており、腑に落ちた。

私自身が子どもの自傷行為の典型であるチック、抜毛症の経験があり、それに加えて幼少期から現在までずっと、苦痛を感じたときに手をつねる癖が抜けない。

学童期にはハゲてしまった頭をヘアバンドで隠していたし、現在もずっと手にはつねりダコが消えたことがない。

そのような身体のSOSや自己肯定感の低さは、成長して大人になってもなくなることはなく、人生に大きな影響を及ぼす。

本書を手に取った時は、「私の母は薬物依存ではないから、その面では参考にならないかもしれない」と考えていた。

しかし、薬物依存に限らず、家族に何らかの異常性を感じ、誰かの手助けを求めている人には一度読んでみて欲しい。

本書の中で、家族セラピーの際に筆者がセラピストから言われた「機能不全家族の一員が、ふつうに社会性を持って生活すること自体が奇跡に近い」「よく頑張りましたね」という言葉が紹介されている。

私自身も専門家から似たような言葉をかけられたことがある。「ふつうの子どもなら、とっくに自殺していますよ」、と。

もし、この記事を読んでいる方の中に、似た境遇も持つ方がいらっしゃるならば、ぜひご自身を褒めてあげて欲しい。

問題を抱えながらも、生きているだけでも素晴らしいのだから。

そして、今の生きづらさをほんの少し変えてくれるヒントが、本書には隠されていると思う。

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