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バスケに、まぐれはない。療育に通い始めて間もなく、バスケに入部した娘の成長記録。

小学4年の春、娘は療育センターへ行くことが決まっていた。楽しい場所だけど、苦手なコミュニケーションを練習する場所でもあるので不安いっぱいだった。



療育のきっかけ

娘が3年生の終わり頃、学校で友達との付き合い方がうまくいかなくなっていた。昼休みも一人だったことも何度かあったらしい、うまく友達に気持ちを伝えることができず一緒に遊べなくなっていた。そんな中、とうとう友達とトラブルを起こしてしまう・・・私は担任の先生と面談を行った。

娘は、友達に文房具を借りたままで返してくれないということだった。

恐らく寂しさの現れでは?と先生が尋ねて来た。まさに、その通りだった。


ちょうどその頃、息子の知的障害がわかり翌年に小学校入学を控えていた。

支援クラスへ入るため、教育委員会へ面談、病院の受診と手続きの真っ最中でとても忙しかった。

おとなしくて主張が少ない娘のことは後回しにしていて、もうすぐで手続き終わるからそれまで待ってもらっておこう、終わったら娘と一緒にどこかへ遊びに行こうと思っていた矢先の出来事だった。

先生がトラブルはすでに解決してくれていて友達にも謝ったと言っていた。


娘に申し訳ない気持ちだった。もう少し早く気付いてあげていればよかったと反省した。

そして、娘にごめんね。と謝った

そしたら、わんわん娘が泣き出した...


少し前から知的障害が判明していた息子が療育センターへ通っていたので、支援員との面談の時に娘のトラブルを相談した。

娘が初めてかもしれない、私に泣きながら

「私も弟みたいに療育センターに行きたい!おんなじようにして!」と

私と息子が二人で療育へ通うのがうらやましかったらしい。楽しそうに見えていたようだった。

その事をすべて支援員に話をして娘も療育へ通えないか相談をした、療育で娘が何を目的とするのかはコミュニケーション不足を補うことだった。

そして、私がやるべき事は娘と二人だけの時間を作ることだった。


療育は、2週間に一回のペースでそれぞれのタイプに分かれてグループがある。娘は歳が近くて同じ悩みを持つタイプのグループに入った。同じ歳の女の子もいて不安いっぱいの娘もうれしかったようだ。私もホッとしていた。




療育では

当然、最初から友達と話しすることも出来ず療育の先生とも挨拶、返事が出来ない状態。それでも先生は優しく受け入れてくれて、ゆっくり時間かけて話を聞いてくれたり困ったときは一緒に考えて解決してくれる。

ここまで時間を費やしてサポートしてくれる場所がここ以外であるんだろうか。というくらい丁寧。誰かが困っていた時はグループのみんなで話し合って誰かの意見を尊重してルールを決めたり楽しみながら、学校や社会に出た時に本人たちが困らないように無理なくペースを考えそれぞれ目的を持って練習している。

次第に少しずつ笑顔も見せるようになり、先生に主張したり甘えたり今まで我慢していたものを少しずつ言葉や行動で表現するようになってきた。

今おとなしくても喋りは後からついてくる。

という言葉がある。

実際に、私が昔近所のイケイケなお姉さんに言われた言葉だ。確かに後から本当についてきた。それでもいいと思う、でも娘のように療育という親以外の人が子育ての支援サポートをしてくれる施設などが私の時代にあって経験していれば、私はもっと挑戦できることがあったかもしれない、考え方や友達との付き合い方も違っていたかもしれない。

今は子育ての支援サポートが充実している、娘が困っているコミュニケーションの手助けを早い段階で受けられることに感謝。おかげで視野が広がり色んなことを経験できる機会が増えた絶対無縁だと思っていたバスケット部に自ら、入部した。娘の世界が広がってきた。


普通って...

ある時、療育センターに連れて行った方がいいのか悩んでいるという話を私に尋ねてきた母親がいた。子供が私の娘のように話が苦手でコミュニケーションがうまく取れていないと悩んでいた。すると「療育は、普通じゃない子が行くところ」「我が子は普通だと思う」なので療育に行かせたいけど行かせるのを躊躇っていた。どうやら普通じゃない子が行くところだと思っている。

私は、普通じゃないから行かせてるのではなく本人が困ってるから少しでも苦手を克服する為に行く場所だと思って連れて行っていると説明した。娘の視野を広げてあげたい、広い世界へ連れて行ってやりたい思いでいっぱいだと付け加えた。

それぞれ考え方はあるので絶対行くべき所だとはすすめない、知りたいことは出来る範囲で教えてあげたいと思う。こういう福祉の支援は親が理解し、支援を受けるべきか受けなくても大丈夫かは親が判断して相談へ動いて初めてサービスが開始される。簡単にすぐ受けられるものでもない。時間と少しの労力がいる。家族で話し合って支援に動いた方が後々モメたりせずに済む。まず普通じゃない子が行く。という考えを少し違う見方に変えて欲しかったので、療育に通っている娘を見ていてくれたら段々解かってくれるかもしれない。。。




娘がバスケットやりたいと言い出した。。。

娘は去年の4月から、月2回の療育と、月1回のカウンセリングを受けていた。療育ではコミュニケーションの練習を主に、カウンセリングでは自己肯定感を高めることを主に取り組んでいる。

そして、療育支援を受け始めてわずか2ヶ月経った頃

前々から誘われていたバスケットの入部に

娘が自ら「バスケットやってみたい」と申し出た。

私は即座に入部の連絡を取った


娘から見えている世界が徐々に広さを増し自分の足で前へと進みだした。

その姿がとても勇ましくて成長したなぁと、ひしひしと感じる。


バスケット部の練習は週3回。とにかく走る。走りまくる。そして、ボールが手になじむまで地道な練習が必要とされる。シュートを打つなどは、まだまだ先の話だなと最初のうちは娘を見てそう思った。。。

娘は練習日以外に、休日や平日でも空いた時間に自分でバスケの練習をしている。

1人で黙々と練習、練習、練習、納得いくまで繰り返す

チームで練習するときに、なかなか自分が出せない。娘の苦手なところがバスケの練習中にも出てしまい遠慮がちで動けなくなる。

見ていてもどかしい。

練習でうまく動けなかった時は無口でちょっぴり元気がない。でもそんな日は、家に帰って空いた時間に練習する、練習試合から帰った後も練習を繰り返す。

娘はバスケットが大好きなんだ。。。

上手になりたい、1本でもシュートを決めたい。

細くて小さな体でゴール下に回り込み、リングに入らず跳ね返って落ちてくるボールをしっかりと見つめ手を伸ばし床からわずか数センチしか離れてないが必死に飛び、長身で娘の2倍もありそうな頑丈な体の高学年に紛れ、ひるむことなくボールを掴もうという強い気持ちで何度も挑む。

言うまでもなく、さすがにボールは掴むことは簡単にはいかない。

でも娘は何度も取りに行く。

バスケットが大好きだから。

療育で培った自信と他人と関わる勇気とバスケットで学んだ楽しさ厳しさ、仲間が出来たという大切さ。娘はこの1年でとても成長した。

私の手助けもなく、自分自身で目標を持って前を歩いている。


入部して半年経った頃、上手になりたいという気持ちで地道に家で練習している姿が、チームで練習している時に努力として現れ始めた。。。

練習試合でも少しずつわずかに努力の成果が見られるようになってきた

そのわずかな努力を見逃すことなく見ていてくれている監督である先生やコーチ。娘がここまで努力して上手くなりたいと思う気持ちが持てるのは先生やコーチのおかげ。

ある時、先生と話す機会があって娘のことで言われた言葉があった

「バスケにまぐれはないんです、よく練習しているのがすぐわかります。まだ入部して1年経ってないのにここまでよく頑張っているのは地道な努力のおかげです」長年バスケの監督をしていると、すぐ見てわかるらしい。


バスケにまぐれはない。先生がチームみんなの前で話していた中に出てきた言葉、すごくいい話をしていて印象深く覚えていた。

私は先生に「娘はバスケットが好きなんです、一人で入部したのにも驚いたし厳しい練習にも負けずにコツコツ練習してて本当によく頑張ってます。バスケット部に入って本当に良かった」と伝えた。

バスケットが好きという言葉に先生も嬉しそうだった、娘が遠慮がちに練習をしているのは先生には完全にバレバレで、娘の性格を理解している先生も指導の仕方に遠慮しているところがあると話してくれた。それは、母である私にはバレバレだった。

先生が遠慮がちに指導しているのは気付いていた、でも先生なりの配慮だとわかっていたからいつか先生と話す機会があったときに伝えようと思っていた。

「先生、娘はバスケットが大好きです。だから遠慮せずに他の子と同じよう構わず指導して大丈夫です。」と

人間としての成長するはず。

先生の指導はとてつもなく厳しい、でも人として成長させてくれてバスケの楽しさも教えてくれる。

母がじゃんじゃん指導してくれと先生に頼んだことは娘には内緒だ。


春から5年生、入部してまもなく1年経とうとしている

更に厳しい道のりになっても、あなたなら頑張れる

フォローはするから

娘よ幸運を祈る。



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