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【これまでの僕】〜たなまち農園日誌〜

簡単な自己紹介です。(当初は簡単なと思ってましたが、どんどん長くなってしまいました。)

・1990年7月29日、里帰り出産で、母のふるさと、大分県中津市の病院で生まれる。
(本籍は父の故郷福岡県大刀洗)

・父親が転勤族で、全国各地を転々とする。
(長崎対馬→青森三沢→愛知小牧→福岡福岡市)

・小学校の部活でバスケットボールを始める。
きっかけは、好きな子がバスケ部にいたから。
あと、身長伸びたかったから。

伸びなかったけど。

・中学高校は私立の進学校へ。
これは僕の意志ではなく、母親の意向が大きい。

「バスケやめさせるなら、受験はしない」

と断言。このときから相当頑固。

中学・高校時代はバスケットボールに没頭。
好きな子がいたから始めたバスケ。
でも、いつの間にかバスケそのものが好きになっていた。

・1年浪人して、地元福岡の九州大学農学部へ。
農学部を志望した理由は、高校生ながらに
「地球の環境問題に携わりたい」と思ったから。

でも、入学当初、

「農業は森林を開墾するので、自然破壊が前提。」

と言われ、なんで農学部に来たかが分からなくなる。
「環境問題を解決するんだ!」
という当初の意気込みがここで下火に。

・学内ソフトボール大会が1番強く、先輩たちが魅力的だった作物学研究室に入る。
この研究室ならどんな研究でも楽しいだろうと思って。
これが、本格的な僕と農業との出会い。

・イネが研究テーマに。
当初はササゲというアフリカの主食をやりたかったのだけれど、
イネの研究をやる人がだれもいなくなるからという理由で、当初は仕方なくイネを。
そして、これが日本の農業との縁につながる。

・同じイネチームの中に、韓国からの留学生、パクチョンファンさんが編入。
パクさんは、合鴨農法をしている福岡桂川の古野さんのもとで研修をされており、
韓国で合鴨農法でマッコリを作るんだと、九大でさらなる学びにいらっしゃった。
毎週末、パクさんにいろんな農家に連れ回される。
正直めんどくさかったのだが、ここで、農業の中に有機農業というものがあることを知る。

・学部での研究では満足できず、大学院に進学することを決意。
イヤイヤ始めたイネの研究だったのに、いつの間にかイネに魅了されていた。

・そんなとき、福岡周船寺で新規就農された、池松健さんと出会う。

「家族を幸せにするために」農業を始めたという健さんの生き方に衝撃を受ける。
これが僕が農家になりたいと思ったきっかけ。

・株式会社大地を守る会(現 オイシックス・ラ・大地株式会社)に入社。
就職活動の面接の際、

「生産者になりたい」

という気持ちを伝えた際、

「じゃあ、うちの会社で学びなさい。1次産業を守るのが僕らの使命だから」

と言ってくださった。
この会社で一生懸命に働かせていただこうと決意。

・働いている間も、この人のもとで学びたいと心から思える生産者を探していた。

・埼玉県小川町の霜里農場・金子美登さんと出会う。
ここで農業・生き方を学びたいと会社を退職し、
1年間の住み込み農業研修をする。

・研修中、多くの卒業生の先輩方とお会いすることができた。
その先輩方は、同じ霜里農場を卒業したとは思えないくらい、いろんな形で、独自の変化を遂げていた。
根っこを大事にしつつも、自分だからできる農業は何かを考えるきっかけになった。

・大地の再生事業を行っている、福岡の矢野さんに出会う。
ここで、「流域連携」という視点を得る。
地元福岡で、地元室見川の流域の人たちに地元の野菜と共育の場を育みたいと思う。

・金子さんの紹介からのご縁で、福岡県筑紫野市のむすび庵の八尋幸隆さんのもと1年間の農業研修を受ける。
福岡の暦、そして、より実践的な農業を学ぶ。

・地元西新に野菜を届けるために、西新から半径10kmi以内で畑を探す。

・早良区石釜と出会う。
石釜の棚田の存在を知る。
損得勘定なしに、先人が創った、この石釜の田んぼをなんとかしたいと思った。

・2019年、念願の西新商店街への出店を果たす。

・2020年2月 正式に福岡市早良区石釜にて、新規就農する

・2020年4月 地元室見川の流域を宅配エリアとした野菜セットの定期宅配をはじめる。

今後は、福岡市早良区の室見川上流地域で畑を借りて農業をしながら、寺子屋を開き、学びの場を創る。

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