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勉強と学び(遊び)が融合したとき全てが面白くなる!(わたしと勉強リレー#3)

こんにちわ!OSOTOゆかんこです。
今回のリレーコラムのテーマは「わたしと勉強」
世間的に見ればちょっと変わっている?私の勉強感を改めて書いていきたいと思います。

「勉強」って嫌いですか?


みなさん「勉強」という単語を聞いて、どんな気持ちが湧いてきますか?
つまらない!嫌い!やる意味が分からない!などの負の感情が湧いて来ますか?
私はというと・・・「勉強」→面白い。やれるもんならずっとやっていたい。と思ってしまいます。ハイ。究極のマゾなのかもしれません。

どれくらいマゾかと言うと、10代後半から10年以上かけて法律の資格を取得しました。前半は司法書士・・・いかんせん受からないので後半2年で行政書士の資格を取得しました。法律の資格取得って凄いです。何が凄いって教科の量。10種類くらいの法律とそれに伴う判例を頭に叩き込み、マークシートと記述式の試験を年に1度受けます。年に1度一発勝負。少しずつ教科の合格を取得していくことは出来ません。全法律教科80%くらいを正解出来て、やっと合格出来ます。

目がショボショボするような小さな六法全書をペラペラペラめくりながら、取り憑かれたように参考書を読みふけり、過去問を何度も何度も何度も・・・穴が開くくらい解いていく・・・想像しただけでも苦痛な作業の繰り返し。「無理にでも努力して励むこと」という意味の「勉強」にぴったりの作業です!!

そんな資格勉強を成人した後も、働きながら10年続けられた私は、相当の勉強好きと言っても、過言ではないと思います。

でも、そんな私も勉強が大嫌いな時期があったな。と思い出しました。それと同時に、「学び」と呼ばれる体験を伴いワクワク・ドキドキ・モヤモヤするような時間も沢山あったよな。と感じます。幼児期から成年期まで、私の「勉強」と「学び」はどのような形だったのか図を描いて整理してみました。整理してみると、そのバランスがとても大切だということが良く分かります。

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幼児期(オルタナティブ教育期)の勉強

幼児期に勉強という勉強は全くしませんでした!字も書けない…

幼児期(オルタナティブ教育期)の学び


前回の私の記事で、幼稚園時代はキリストの加護とモンテッソーリのメソッドの元で、「ありのままの自分」を認められながら、マッタリと過ごしたと書きました。現在、私はオルタナティブ教育について学びを深めているのですが、幼児期の主体性の尊重が、その後の好奇心が溢れ出す精神や、自己肯定感に大きな影響を与えることを身をもって体感しています。

 
この頃の私は、闊達な子と言うよりポケーとしたマイペース女子。趣味は妄想。油断すると、夕焼けや木々を眺め物思いにふける日々。何度かマリアの声を聴いたり、妖精の姿を確認しては、シスターに報告し、感動して貰っていたっけ…(素晴らしい大人でした。シスターたち)。早熟な女子たちとは、話も知能レベルも合わず、男子とヒーローごっこばかりをして過ごしていました。

小学校(自営業ばかりの公立小学校)の勉強


小学校に入るまで、勉強という勉強をせず、字も読めない状況でのぞんだ学校生活。正直、私ヤバイかも?と不安でした。
始めて字を書くぞーよーし!見本どおりに描いてみるぞー!!ドキドキしながら鉛筆を進めていると、先生が立ち止まり「まあ!何て上手なんでしょう!」と絶賛してくれました。我ながらビックリ!確かに…綺麗に書けています。幼稚園時代に変な癖をつけなかったので、基本に忠実な綺麗な字が書けました。字が綺麗と褒められて、テンション上がりまくりの小学一年生。算数も、先生が使う大きなオハジキや定規が触ってみたくて触ってみたくて、めちゃくちゃ手を上げます。理科は実験も観察も楽しいし、社会なんて資料集を見るだけでワクワクするし、国語は読むのも書くのも面白いじゃんっ!たぶん好奇心のベクトルが変な方向に進んでいたようで、何勉強しても面白いし、点数取れりゃ嬉しいし、疑問が生まれりゃ勝手に調べるしと、どんどん勉強をしていました。
先生も怒ると鬼のように怖い女の先生でしたが、自分の話を沢山してくれたし、芸術的なセンスが抜群の人で大好きでした。
私の画力と書道の力も見いだしてくれ、卒業するまでずっとお世話になり続けました。

小学校(自営業ばかりの公立小学校)の学び


小学校中学年までは、近所の幼馴染と自然の中で過ごしていました。特に、これが学びだったなーと思うところはないけれど、子どもだけの社会を築き、自然と自分たちの関係性を育んだあの時間は、私の根っこを強く育んでくれたのかもしれません。
幼児期に培わられた持ち前の好奇心とチャレンジ精神を、自然の中では存分に発揮することが出来ます。
高学年からは自然の中で遊ぶ機会が減りましたが、成田山参道に近い学校だったので、友人たちは大半が自営業者の子どもたち。友だちの家に行けば、様々な職業の世界を垣間見ることが出来ました。お新香屋さん、ペンキ屋、工務店、電気屋、居酒屋(私も)、農家。当時の自営業の子ども達って基本的に放ったらかしなんですよね。家族みんなで働いているから、子どもになんか構ってられない。子ども達は、自由な時間が過ごせてむしろラッキーです。ちょっとしたイジメも年がら年中ありましたが、多様な友人たちの中での日々は、充実した時間だったなぁ思います。

中学校(普通の公立)の勉強


中学に入っても勉強好きは変わらず、むしろ拍車がかかってめちゃくちゃ勉強してました。テスト前になると、家が居酒屋だと夕方集中することが出来ないので、帰ったら早めの夕ご飯をとって20時前に一度、就寝し、みんなが寝静まった12時過ぎに起き出して朝まで勉強してました。もうどう考えても変態です。部屋の窓から朝焼けを眺めて充実感を味わっていました。気持ち悪い人です。

中学校(普通の公立)の学び


中学時代は勉強もしたけど、とにかく遊んだな〜と言った感じ。美術部に入ったのですが、基本的にマッタリとした部活(通称、アソ美部)だったので、今日は何して遊ぶー?から始まって、バトミントンしたり、なぜか走ってみたり、夏は水泳部に混じってみたり、終いにはフリマで資金を集めてバンドを組んでみたりと…『健全なバカ』の集まりでした。この関係性は卒業ギリギリまで続き、受験期間中も遊びまくってました…なのに、みんな優秀で、推薦で高校を早々に決めてしまいました。

高校(私立進学校)の勉強


そんな私の楽しい勉強ライフが、高校に入った途端に地まで落ちました。始めて知りました…勉強って、大学受験のためにするんですね!学歴が人の価値を決めるんですね!!ってことは、資金不足で大学に行くのは難しい私は、どんなに勉強したって無価値な人間なんですね!じゃあ、、、つまんないし、意味も見出せないので、勉強止めます。
学費を湯水のように使えるのに、親に感謝の念も示さない友人たちがムカつきます。出来れば話したくないし、友だちになんてなれそうな気もしません。
初めて家業が憎くなりました。初めて学校が楽しくなくなりました。初めて勉強が大嫌いになりました。これが私の高校時代。憧れの地元の進学校に入った途端にコレ!
やらないと決めたらやらない人だったので、授業中はマンガを読みまくりました。ありとあらゆるマンガを読み漁れたのは、むしろラッキーでした笑笑
きっと頑張れば国立大学に入れたかもしれないけれど、塾に2つも3つも行っている友人に囲まれ、先生も「塾で習ったでしょ?」というスタンスの学校では、人一倍頑張るモチベーションを持つことが私には出来ませんでした。

高校(私立進学校)の学び


もうクラスに居心地の良い場所は作れないな。と感じ取った私は、厳しめの部活に入れば高校生活を少しはエンジョイ出来るかな?と弓道部に入りました。想像以上に厳しかったー!名門校の武道…恐るべしです!いやそれパワハラだろ!!と今なら突っ込めるような罵詈雑言ぶつけてくる先輩たち…礼節、清掃、練習…何から何まで厳しいーっ!
でも武道ってやっぱり凄いです。まさに「自分との戦い。」弓道をやってなかったら分からなかっただろうなぁという学びをたくさん得ることが出来ました。そして、共に戦う仲間とも出会うことが出来ました。

暗黒期(資格浪人)の勉強


結局、大学には入らず、あーーーこれからどうしよう・・・と途方に暮れていたときに、ドラマ「カバチタレ!」を観ました。物凄く面白くて、大学に入るのならば法学部に進みたかった私は、本屋で法律の資格書を手に取ってみました。すると、司法書士や行政書士の資格は、学歴や年齢に関係なく(幼稚園生でも!)受験が出来ることが分かりました。学歴の壁にぶち当たり身動きが取れなくなっていた私には、一筋の光が見えたような気分でした。それから、学生時代との友人とはほぼ縁を切り(大学で遊んでるのがムカつくから)、早朝バイトをして昼から夜まで資格勉強するという日々が始まりました。この頃は、まだ勉強が楽しかった頃の気持ちは思い出せず、ただただ自分のプライドのため、汚名返上のためひたすら勉強に明け暮れていました。

暗黒期(資格浪人)の学び


この頃は暗黒期と言うのに相応しく、学びも遊びも少ない日々でした。たぶん色々とバランスを崩していたので、鬱々とする日もしばしば・・・胃腸炎を起こして、痛さで転がり回ることも何度かありました。

解放期(資格浪人)の学び


中学の同級生でもある今の旦那さんと付き合い始めた頃から、私の日々も少しずつ明るいものとなってきました。趣味を見つけよう!と始めたボディボードと、そのための体作りとして始めたヨガが、私に自然の中で学ぶことの素晴しさを再度教えてくれました。自然の中で得られる学びとして一番大きなものは「生きる強さ」を育んでくれることだと思います。大海原に浮かべば、自分の悩みのちっぽけさを感じることが出来るし、死にもの狂いで沖に出て、波に乗れば、一生懸命生きることの素晴らしさと美しさを体感することが出来ます。ヨガをすれば、自分の身体との対話を何度も何度も重ねながら、安寧を得ることが出来、心のバランスも整っていくのを感じることが出来ました。

解放期(資格浪人)の勉強


波乗りとヨガからの学びと、そして何より、今の旦那さんの支えを得て、だんだんと小学校・中学校のころのような勉強の楽しさを思い出すことが出来始めた私。「面白いから続けられる!」と自分に言えるようになって来ました。誰かを見返したいから勉強するんじゃない。自分に必要だから、勉強することが面白いから勉強しているんだ。と思えるようになってきました。ハッキリ言って、法律の資格勉強って、業務をするに当たっては大して役に立ちません(笑)だけど私は、資格勉強を通して「法律を暗記しているわけじゃないんだよ。勉強の仕方を学んでるんだよ。」って、旦那さんに言ったことがありました。気が遠くなりそうな難解な文章を読み解き、理解し、テストに出そうなポイントを見出す。特に注意が必要な所に気がつけるようになる。これは、社会に出てから武器になる技術の一つだと思います。実際、資格取得後、企業のコンプライアンス系のコンサルタントを務めた際にも、現在、補助金の申請書を作成するときにも、この力が大いに役に立っています。

勉強と学びが面白くなるポイント

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最後にもう一度イラストを見返してみると、2つのポイントがあるんだな。と気がつきます。

○何のために学んでいるのか(自分のため?誰かのため?)
○勉強と学びのバランスが取れているのか

 
私は、誰よりも学びの大切さ(特に自然からの学び)を知っていますが、同時に無類の勉強好きでもあります。

主体性をもって、学びと勉強のバランスが取れたとき、いやいや、もっと言ってしまえば、勉強と学びが融合してその境目がなくなったとき、自分自身の中にある光を輝かせることが出来るのかもしれません。 

子どもは、そもそも勉強・学び・遊び・仕事の境目がなく、好奇心をエンジンにして、すべてを面白く楽しく統合的に実践する力が備わっています。それなのに、これは勉強だから真面目にやるべきだし、数値評価にこだわるべき。これは学びだから楽しそうにやるべき。などの固定概念に縛られて、境を作ってしまっているのは大人の方だと思います。勉強だって面白がっていいし、むしろ学びの方が苦しい時がいっぱいあります。

再度、勉強と学びの価値観について、問い直してみる時間が大切だと思います。

最後に、今回の記事を書くとき、もっとジェンダー差別に着目した記事にしようかな。とも考えました。結局、暗くなってしまうので止めましたが、「女の子だから学歴やキャリアは必要ない」と言った認識は、まだまだ日本に蔓延しているように感じます。そして、経済的な理由による教育格差も、私たちの頃より広がっているように思えます。性別や家庭の事情に関わらず、誰もが平等に学びの機会が与えられ、みんなが光り輝くことが出来る社会を作って行きたいと、心から願っています。

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