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離婚と煮込みすぎたカレーの共通点~映画『転々』

"幸せはきていることに 気付かないほどじんわりやってくる。でも、 不幸はとてつもなくはっきりやってくる" ー映画『転々』より

先日友人と飲んでいる時に、彼がボソッと話してきた。「両親が離婚した。もう子供たちも大人になっているし、別々の人生を送ることにするんだと…」ということだった。酒が入っていたこともあってか、いつもは強気な彼がうっすらと涙を浮かべていた。

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僕が彼の両親と会ったのは一度だけ、彼の結婚式だった。父親は厳格そうな風貌で「亭主関白」の雰囲気が醸し出されていたが、時折見せる愛嬌のある笑顔が印象的だった。母親はとてもよく喋る人で、式場を出る時の列で猛烈に話しかけられた。

結婚式に参列して、心底素敵な家庭で育ったのだなと思った。彼から聞かされていた家族の話はいつも少し愚痴っぽかったけれど、幸せであるが故に出てくる惚気だったのかもしれない。

そんな彼にとって両親が別れてしまうということは、「はっきり」とした不幸だった。なぜ彼はこんな不幸な目に遭ってしまったのだろう。

彼の話を聞きながら、冒頭のセリフ"幸せはきていることに 気付かないほどじんわりやってくる。でも、 不幸はとてつもなくはっきりやってくる" を思い出した。これは三木聡監督の映画『転々』に出てくるセリフだ。

小さい頃に両親に捨てられ、借金に苦しむ大学生の文哉(オダギリジョー)は、借金取りの男・福原(三浦友和)から“東京散歩”に付き合えば「借金をチャラにして、更に100万円をやる」という提案を受ける。ひとりぼっちの男二人が、吉祥寺から霞が関までの長い散歩をしていく中で、次第に心がほどけていく物語だ。


(注:ここからネタバレ全開でいきます)


なぜ福原が霞が関を目指しているかというと、妻をうっかり殺してしまったことを自首するために、警視庁に向かっていたのだった。理由を聞かされても、100万円さえもらえれば目的地はどうでも良いと思っていた文哉だったが、散歩が進むにつれて心境が変化していく。

映画の後半、転がり込んだスナックママの麻紀子(小泉今日子)の家で、その姪っ子のふふみ(吉高由里子)を含めた不思議な共同生活が始まる。そしていつのまにか、父福原、母麻紀子、兄文哉、妹ふふみ、という「偽りの家族生活」に幸せを感じていく文哉。いつまでもこの生活が続けば良いと思っていた。

ところがある日、文哉が麻紀子に夕飯を聞くと「カレー」だという。それを聞いて文哉はうろたえる。散歩の途中で福原が「シャバで食う最後の飯はカレーが良い」と言っていたことを覚えていたから。

その晩の食卓。何も知らない麻紀子とふふみは、いつも通り楽しそうにご飯を食べている。その横で涙を浮かべながら黙々と食べる文哉。その様子を見た福原がふと話始める。

「俺さ、カレーを1か月煮込んだことがあるんだよ」「なんかめちゃくちゃ美味くなりそうじゃない1ヶ月煮込むと」

美味しそう! それでどうなったの?と聞くふふみと麻紀子。

「それがさ、1ヶ月目に食ったら味しないのね。香辛料も肉の旨みも飛んでやがんの」

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カレーも幸せな関係も、そのままをずっと続けていると、気が付いた時には「味がない」ものになっているのかもしれない。美味しさを保つためには、途中で肉を入れたり、スパイスを加えたり、美味しいうちに「味を加える」必要があるのだろう。

もしかしたら彼の両親にしてみれば、離婚がスパイスかもしれない。しかし彼からしてみると、そんなに刺激的なスパイスは美味しさを損なう。今となってしまっては後の祭りだが、刺激的なスパイスが嫌だったら途中で少しずつ肉を入れたり、ルーを足したりすることが必要だったかもしれない。

でもきっと素敵な家庭で育って、大きくなってから苦難を味わった彼は、もっと素敵な家庭を作るに違いない。

いつか友人の「美味しいカレー」が見れたら良い。


編集:円(えん)

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