「敵に塩を送る」っていうけれど
「敵に塩を送る」ということわざがある。
戦国時代、周囲に海がなく塩不足に悩んでいた甲斐(今の山梨県あたり)の武将・武田信玄に、敵将であるはずの上杉謙信が塩を送ったことから、
「敵の弱みにつけこまないで、逆にその苦境から救うこと」を意味するそうだ。
まさに、「これぞサムライ!」といえるエピソードだが、その一方で「敵の弱みに付け込めないなんて、そりゃサムライは滅ぶよな」という見方もできなくない。美徳美談も大切ではあるが、それだけで生きていけるほど甘くはない。時として弱みに付け込むくらいのしたたかさがなければ、結局負けてしまうこともある。
敵に塩を送るか、送らないか、二手に分かれてディベートが出来そうだ。
しかし実際の世の中は、送るor送らないと単純な話ではない。もっと複雑に色々な事情が絡み合っている。だけど人間の頭で考えることには限界があるから、A派orB派と単純化して考えるしかないことが多い。
かつて「倒幕or佐幕」と単純な二項対立にさせられてしまった時代があった。日本の大きな転換期であって、現代はほぼその片方の上になりたっているともいえる。
そんな時代において倒幕でも、佐幕でもなく、どちらにもつかず第三の道を目指し続けた男がいた。そしてその男はかつて「敵に塩を送った」上杉謙信が治めた越後で生まれ育った。名を河井継之助という。
この度、彼を描いた映画が上映される。『峠~最後のサムライ』だ。
原作は『竜馬がゆく』『坂の上の雲』などの司馬遼太郎。上中下の3巻である。
個人的に一番好きな歴史上の人物は徳川慶喜なのだが、この本を読んで河井継之助も同じくらい好きになった。
なぜ彼らが好きなのかというと、「倒幕or佐幕」の幕末において、絶妙なバランス感覚で時代を生きていたその振舞いに惹かれるからだ。
幕末だからではなく現代であっても、ポジショントークを求められることは多々ある。敵か味方か、良いか悪いか、好きか嫌いか・・・etc
河井継之助は時流が激しい中で、自分の信念だけを頼りに、そのために命を使い切った。彼は侍でもあったが、政治家でもあり、商人でもあり、哲学者でもあった。それだけ色々な顔を持てたのは、立場は手段であり、「なすべき信念」が目的であるとわかっていたからだと思う。
どうしても一つの立場や手段にこだわり続けると、いつのまにかそれが目的になってしまう。そして段々と自分の立場を保守するようになり、敵か味方で人を判断するようになってしまう。周囲に流されず、自分の中でバランスを取って生きる姿はカッコよい。だから惹かれる。
しかしこれまた皮肉なことに、河井継之助は天才的なバランス感覚を持っていたにも関わらず、その「なすべき信念」が侍が故のモノであったがために滅びてしまう。
司馬遼太郎は小説のあとがきで「この「峠」において、侍とはなにかということを考えてみたかった。その典型を越後長岡藩の非門閥家老河井継之助にもとめたことは、書き終えてからもまちがっていなかったとひそかに自負している。」と述べている。
河井継之助の生き方を通じて、侍の真似したくなるところと、真似してはいけないところと、両方を感じ取れる。
この機会にご覧になってみてはいかがだろうか。
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