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ミューツーとコーヒーと叔母さん

当時、小学生1年生の僕は長野県に住んでいた。それも弟とふたり、親戚に預けられる形で。

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親と離れて暮らすことに寂しさはなかったのは、親戚のみなさんがとても良い人たちで家族同然に扱ってくれていたからだ。長野は自然豊かで空気も美味しく、冬の雪は辛かったけど、特に不満もなく楽しく暮らしていた。

しかし、子供ながらに気を使いながら暮らしていたかもしれない。

外で遊ぶ方が楽しいからと言って家にいることも少なかったし、友達を家に呼ぶこともあまりしなかった。親戚内で喧嘩がはじまった時には、そっと部屋を抜け出し、別の部屋で息を殺してじっとしていた。

小学生のお年頃にもかかわらず、わがままを言ったことは無かったし、すでに世間体を意識できていた。別にそれが嫌だったこともない。

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親戚の中でも特に、叔母さんが僕ら兄弟の世話をしてくれた。叔母さんは父の姉で、気が強く、よくタバコを吸っていた。時折出る言葉遣いの粗さから、若い頃は血の気が多かったことが滲み出ていた。

叔母さんには一人娘がいたのだけど、もう既に結婚して叔母さんの元を離れ、旦那さんと子供と3人で暮らしているらしかった。(そういえば、叔母さんの旦那さんがどうなったのかは知らない。)

親が近くにいない負い目を感じないように、親の代わりに近い役割担ってくれた叔母さんには頭が上がらなかった。急に転がり込んできた「ガキ二人」の面倒を見るのでも大変なのに、余計な負担はかけられなかった。

それでもただ一度だけ、叔母さんにお願いをして二人で出かけたことがある。当時、子供の間で大流行していた「ポケモン」、初の劇場版『ポケットモンスター ミューツーの逆襲』を観に行くためだ。


夏休みのある日。早朝から叔母さんに車を出してもらい、市街地の映画館まで向かった。夏休みということで、映画館には早朝から長蛇の列が出来ていた。叔母さんが飲み物を買ってくるというので、ひとりで列に並んだ。周りにはお父さんお母さんに連れてきてもらったであろう小学生たちがキャッキャッと騒いでいる。

戻ってきた叔母さんは、僕に冷たいお茶を渡し、自分はホットコーヒーを飲んでいた。「暑いのにホットコーヒーなんて変なの」と言うと、「飲んでみる?」とカップを差し出された。ひと口を飲んで「苦っ」と嫌な顔をして返す。苦かったのはコーヒーのせいだけではなかった。


『ミューツーの逆襲』は、伝説のポケモン「ミュウ」を再現するため、人間によって造られてしまったポケモンのミューツーが、オリジナルのコピーとして自分の存在意義を証明するために逆襲を始める。

ミューツーの強さがカッコよいと思った。自分の力を信じて戦う姿は、例え負けてしまったとしても、そのダークヒーロー感に心が躍った。


映画館を後にして、二人でお昼を食べて帰った。車の助手席で映画のパンフレットを見ながら内容を思い返す。

「私は私を生んだ全てを恨む」

ミューツーはどうして生んだ人を恨んだりしたのだろう。なぜ戦ったのだろう。眉間にしわを寄せながらパンフレットを読む僕に、叔母さんがふと声をかけた。


「ミューツーは寂しかったんだねぇ」


ミューツーは恨むことで、自分の存在意義を出そうとした。それは周囲に自分を認めてくれる存在がいなかったからではないだろうか。たしかにオリジナルが目の前にあって、自分がコピーだと思って生きるのは辛い。

しかしコピーをコピーではなく、ひとつの存在として認めてくれる人が回りにいるのであれば、寂しさもなく生きていける。そのことに気が付けば、周囲を恨む必要も羨む必要ものない。

叔母さんと初めて出掛けたあの夏から、コーヒーの苦さが、美味しい。


編集:アカ ヨシロウ

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