【読書】まぐだら屋のまりあで救われた

今日は読書記録です。

概要

書名 まぐだら屋のまりあ
著者 原田マハ
発行 2011年

 楽園のカンヴァスを読んで、原田マハさんの小説はとても面白いなと思ったので、著作を検索し、タイトルが気になったこちらの本を読んでみました。
 ある事件があって、今までいた場所にいられなくなった料理人見習いの紫紋(シモン)。あてどもなくさまよった結果、尽果(つきはて)というバス停に降り立ちます。尽果にある定食屋、まぐだら屋で女店主、マリアと出会い、働くことになります。まぐだら屋で様々な人々と出会う中で、生きる気力を取り戻していく再生の物語です。

世界一読まれた本へのオマージュがおもしろい

 この小説は一見、とある事件で打ちひしがれた若者の再生の物語です。しかし、世界一読まれたあの本のオマージュが所々に散りばめられており、その世界一読まれた本のことを考えながら読むととても面白いなと思いました。

 世界一読まれた本とはズバリ、聖書です。

 登場人物の名前は聖書に出てくる人物から取られています。例えばマグダラ屋のマリアはマグダラのマリア。主人公紫紋は、Wikipediaで調べると聖書の登場人物でいるようです。それからマルコとヨハネ。聖書の中でそれぞれがどういう役割を果たしたか、までは調べていませんが、名前を聖書の登場人物からもじっていることで、聖書の世界観に意識が向きながら読むようになりました。
 また、主人公シモンは、行き倒れ同然でまぐだら屋にやってきた青年・マルコの面倒を見てあげることになります。最初はマルコの存在を鬱陶しがっていたシモンですが、徐々に、マルコの面倒を見ることで、後輩のために尽力しきれなかった自分の傷を癒しています。その描写が、人に施しをすることで罪を償っているキリスト教徒のように思えました。
 さらに、実は主要な登場人物のほとんどは、過去に何かしら人を苦しめる経験をしています。こののとは、全ての人間は罪を背負っているというキリスト教の根本的な価値観に基づいているなと思われました。
 私はキリスト教徒ではありませんが、聖書のエッセンスを思い浮かべながらこの本を読むと、一気に教訓的な小説になるなと思いました。唯一わからなかったのは、マリアとシモンに温かく接してくれる 漁師カツオの存在です。彼も主要人物なので、彼は聖書に出てくる誰かのオマージュだったのかもしれません。が、私は分かりませんでした。

料理と季節の描写の美しさ

 小説の舞台は、寒さ厳しい尽果という海辺の集落のまぐだら屋という定食屋です。料理をする様子の美しさと、季節が移ろう様子の美しさの描写が素晴らしいなと思いました。主人公とマグダラ屋の女店主マリアが料理に取り組む様子は目に見えるようであり、お腹がすいてきそうでした。
 また、主人公は約1年間、まぐだら屋で過ごすのですが、24話構成になっており、頻繁に季節に関する描写ができてきます。私は寒さの厳しいところで暮らした経験がないので、冬の寒さの厳しさ、寒い冬からの春夏への転換を感じる様子の描写が新鮮でした。
 食べて寝て起きて季節を感じる、ということが生きるということの根本なのかな、と思わせるような描写でした。

みんな救われて、よかったな

 結末はハッピーエンドなところもよかったです。マリアは過去に罪を一緒に犯してしまったヨハネと和解し、自分の故郷と定めたまぐだら家に戻ってきます。マルコは典型的な引きこもりから、逆に母親の面倒を逆に見る立場になり、成長した若者となります。そして主人公のシモンも、最後は愛する母親の元へ帰ることができます。重要人物全員が、言ってみれば「救われた」ので素直に良かったなと思いました。綺麗にハッピーエンドで終わると言うフィクションっぽい結末も、 ある種聖書のようで良いなと思いました。

この本を読んで考えたこと

 この小説を読んで、生きるというのはどういうことだろう、と考えさせられました。結論はシンプルです。日々、いろいろやることはあるけれど、寝て起きて、食べて、ヒトの役に立つという毎日の積み重ねが、 生きることなのかな、と思いました。
 小説を楽しみながら、このようなシンプルで深い 問いを考えることができ、良い小説だなと思いました。是非読んでみてほしい面白い本です。

以上

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