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今、ここに、歓喜の歌が解き放たれた。

私には4年前まで5人の親がいた。

自分の両親、そして主人の両親に義理の祖母(享年112歳)で5人。
2016年9月に87歳の私の父
2018年に112歳の義祖母
2019年9月に92歳の私の母
現在は、85歳を超える義理の両親がいる。
二人とも認知症がある。
義母は足腰が弱く、痛みがあり、介護施設に
私の父が亡くなる前日に入所した。

2016年の9月に父が帰天するまで
親とは死なない存在と錯覚した。
介護、看取りは長く、いつまで?と疑問を持つことに
罪悪感が生まれる。

みな、誰しも長生き、そして健康で
そして、出来れば「ピンピン、ころり」と
天に帰りたい、と思うが、コントロールできるものではない。

しかし、3人の死を見届けた時
人は 生きたように 死んでゆく 
と 実感した。

11月になると義母の調子が悪くなる。
現在は介護施設に入ってるが、暴言を吐き、
物を投げ、おむつの交換を嫌がり、
夜中に大声を出し、ケアマネや介護者を罵る、、、

感情に蓋をして、体に無理を重ね
我慢に我慢を重ねた義母は、80歳を超してから
体に原因不明の疼痛が走り、痛みが言葉となって
人にぶつけてしまう。

とうとう、介護施設から他に行ってもらいたいと言われた。。。

落ち込んだ。
義理とはいえ、長男の嫁として
自分が本来ならば見るべき?と心のどこかで
思っていた。
また、介護施設に入った時にも、帰りたいという義母を
いつかは出られるから、、、と
騙し、騙し、施設に置いてきた。

昨日は、介護施設に行くと、義母の部屋から
子供がすねるような、甲高い声が聞こえた。
私が顔を合わせると感情がエスカレートするといけないので
孫にあたる息子だけが面会した。
私は介護施設の玄関の扉ごしに、義母と息子の話を聞いていた。

話ではない。。。叫びだ。

言葉にならないコトバ。。。
甲高く鳥が鳴いているような、音だ。

そして、今日は、現在入所している施設から紹介された
一部屋、空きが出たという介護施設を訪問した。
これで、、何度目だろう。
こうして、介護施設を訪れるのは。。。

介護施設も人間が運営しているので、いくらちゃんとお金を払ったとしても
施設が「無理だ」と判断を下されれば、出なくてはならない。
もちろん、強制力はない。
しかし、嫌がられている所に居るのは
いくら認知症があっても、義母も辛いだろう。。。

いや、認知症だからこそ、
人間の「言葉」にならない「コトバ」
感じ取っていると思える。

義母は何をしたのか。
失言をしてしまった。

失言とは失敗の言葉であり、言葉を失うこと。。。
かもしれない。


どうして、そんな事を、言ってしまったのか、、、
と思う事がある。
しかし、
言ってしまってから、それが 失言だと気づく。
失言とは、言葉を失う と書く。
とんでもない事を言い、
心の言葉を失う事。。。

「言ってしまった。」
I have said that....
The words what I had said have gone with the wind.

怒りを 衝動的に 人に 言ったら 壊れる。
喜びを 感動的に 人に 言ったら、膨らむ。


壊れたり
膨らんだりする 
言葉の根っこには
目には見えない、根っこがある。
言葉にはならない 「コトバ」は
本当は
膨らんだり
壊れたりしない。


ただ、ただ
そこに 存在している。。。
コトバと共に生きてゆくのは
時に 悲しく 
時に 楽しい。。。

介護施設から戻ると事態は変わった。
まるで暗い空に浮かぶ雲の切れ間から、青空がみえるように。

台所に立ち、携帯を見る。
Chakiさんの投稿が目に入る。

嬉しかった。。。

言葉に「寄り添われた」のだ。

まるで、猫のジジとキキが、のどを鳴らしながら
縮まる体に、すっーと、からだを寄り添うように
Chakiさんの「コトバ」が
老いを感じる背中に触れたような。。。

ありがとう。。。

さぁ、これから仕事です。
ぴかぴかの笑顔の小学生と幼稚園生が待っている職場へ。

#歓喜の歌 #感謝 #介護 #失言 #看取り #言葉 #コトバ





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