女子の「それ、わかる~~!」が大事なわけ。

なんだかもやもやした時に、書きたくなる気がする。はじめは何を書きたいかわからないけど、書いてるとまとまってくる。そんで全体の中で重要な一文をタイトルにする。わたしのアウトプット方法。

「なんかすごい人に出会ったらしい」というときに、あまりそのことを説明してしまうとうさん臭くなる、どうしてもw

そして、そんで何?という話になる。


 それをどう書くべきか。まぁ真実だけを書いていくのみ、なのかしら、感じたことも書きたい、どう書くべきか。

 以前に渋谷に住んでいた時に、業界人がやはり多く集まる街、一般的に超有名人と言われる人と遊んだりしていたことがあった。なんかものすごく嫌な奴がいた、でもなぜ神様はあの人を有名人にしたんだろう?言い換えたら、そういう宿命をもったひとなのに【何故】嫌な奴だったんだろうか?もしくは本当は嫌な奴ではないけど、私に対してだけ嫌な奴だったのかな?

 そうかもしれないと思う。見た目良い人そうだし、きっといい人に違いないと思うと、嫌な一面が目立つのかもしれない。それにしてもなぜ私は同じステージに立てないのかな?と思っていたりしていた。容姿も違うしね、発言に対する影響力も全く違う、けた違いに。なぜ違うんだろう?と。今となっては背負っているものが違うのかも、課題が違うのかもと思っている。当時はコンプレックスがあったのかもしれない、今思うと。

ここで過去のことを書きたかったわけではなく、そうさいきん会ったすごい人もものすごく嫌な奴だったのでやっぱりなって思ったって話。なんならほんとうはすごくないんじゃないかって話w

世帯年収の話になった、「そんな低い人自分のところに来なくていいし、」とその人がぽろっと言っていて、そこ、ものすごくわたしは心にひっかかってしまった、なんだそれ、とげとげと。うちが年収低いと言われたとかではなくて、話の流れ的に。

あぁ、わかった。そのひとにはコミュニケーションに共感性がなくて、話の中で「そうそう」とか「わかる~」とかないんだな。自分を馬鹿にされているきがするんだな、そして「すごいひと」だから、なおさら「馬鹿にしてるんじゃないか」っておもうんだな。

わたしがコンプレックスによって勝手に解釈しているともいえるかもしれない。そうなのかもしれないね。

私自身、とってもおしゃべりで、ものすごくしゃべる。ものすごくしゃべるときは機関銃みたいにしゃべっているときもある。
ふと我に返って聞いてくれる人に向かって共感するとかちょいちょい挟むのを意識している。だっておしゃべりはコミュニケーションだからさ。
私だけしゃべってたら、お相手の意見も聞こうとはなる。そして「わかる~~!」とか「だよね~」とか「それすごいじゃん」とか言われるとどんどん話したくなるからわたしもする。

【すごいひと】って誰かに共感してもらわなくても、しなくてもいい、になってしまうのかもね、機関銃みたいにしゃべりたいときだけしゃべるっていう感じがまかり通る?というか。そのひとは共感してほしいとか聞いている相手がどう思うか?を考えずに自由にしゃべってるのかもしれない。

それがカリスマ性ともいえるのかな、一理あるかもよ。
まぁでもわたしは「わかる~~」とかの会話が好き。w








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