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言葉で伝えることのもどかしさ

私は自分の考えや思いを言葉で表現するのが苦手です。
でも、こうして文章にするのは好きで
それは
何度も書き直したり
時間を置いて内容を精査したりできるからです。

生身の言葉のやりとりは
それはそれは難しい。

いろんなことを考えすぎて
相手の状況とか立場とか
これいってもこう返してこられるよなとか
これ言っちゃったら他の人が迷惑するなとか

だから、なにも考えずに流暢に話せる人を見ると
尊敬する反面、なにか居心地の悪さを感じてしまいます。

いや、そういう人だってなにも考えていないわけではないし
思いは言葉にしないと伝わらないでしょう。
社会人として、言語化のスキルは必須条件。

ですが、声の大きな人(反応が早く言葉が巧みな人)
のペースにのまれてしまうことが
なんだかものすごくストレスに感じるのです。

それはおそらく母親がそういう人だったからだと思いますが。

いまだにそのえもいわれぬ不快感と戦っていて
人とのコミュニケーションは気楽にできにくいです。

大人になってからはその不快感を表に出さず
何事もないように振る舞えますが

その圧し殺した気持ちはどこへ行くのだろうと
ふと怖くなるときもあります。

そんなときは信頼のできる友人に話をしたり
こうやって文章にしてみたりして
なんとか折り合いをつけます。

もしも親が、
どんなにつたなくても
どんなに変でも
話したいことを「うんうん」って聞いてくれたら
いまこの不快感はなかったのかな?
なんて
大の大人とは思えないような
親不孝なことを考えたりもしてしまいます。

でも、そんなことを言っていても
過去と他人は変わらないので
こうして文章を書くことで
言語化する力をつけていこうとしています。

そして、せめて
自分のこどもたちや
仕事で接する言葉のたどたどしいお子さんたちには
自分のような悔しい思いをさせたくない。

だから、私はまずこどもたちの行動を観察したい。

大人から見ると合理的ではない行動も
その子なりの哲学で動いている。
どんなに間違った行動でも
その子なりの理由がある。

それをわかってあげられる大人になりたい。

でもなかなかそういう考えを伝える機会はなく
そんな立場にもなく
日々ジレンマをかかえています。

いまの仕事においては、
タスクをこなすための
指示や行動ができることよりも

こどもたちと楽しんだり
話をたくさん聞いてあげたり
言葉であらわせない気持ちに気づいてあげたり

そういうことを大切にしたい。

自分自身が、そんな大人がいてほしかったって思うので。

人とうまくやりつつ

このジレンマを少しでも埋める方法を
ゆっくり考えていきたいなと思います。


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