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スペイサイド・リージョンの思い出

このウイスキーが瓶詰めさされた2010年、つまり今から10年も昔のことになるけれど、彗星のようにに現れたTWA(ザ・ウイスキー・エージェンシー)が、その地位をしっかりと手に入れた頃だったと思う。

彼らは秀逸なリリースを続けて、だからこそ信頼を勝ち取り、結果として僕らは彼らの新しいリリースに注目するようになっていた。

僕らは争って彼らの新しい瓶詰めされたウイスキーを仕入れて、その結果が「これまた良し」となれば好循環が続いていく。


ウイスキー愛好家が増えることを嬉しく思う。30年前、ネット社会もまだ発展途上だった頃、僕らはウイスキー情報に触れることが非常に困難だったし、一緒にウイスキーを愉しむ友人を見つけるのもまた、より以上に難しいっ時代だった。

ウイスキー・マガジン(英語版)を辞書を片手に読んでいた時代から、その日本語版が発刊され、ウイスキー大全の初版が1995年。ウイスキー・マガジンはネット版に移行し、ウイスキー・ワールドが創刊し、ウイスキー・ガロアがその後継を担う頃には、僕らのウイスキー情報はその大半がネット経由になっている。

ウイスキー愛好家が増えることを嬉しく思う。求める者が多くなれば、その情報もより多く発信されるようになり、何より一緒にウイスキーを愉しめる仲間が増え、見つけられることは、素直に人生を豊かにしてくれることだろう。

ウイスキーを愉しむということは、それを体験することである。体験とは飲むことであり、ウイスキーは飲めばなくなる。当たり前のことだが、ウイスキーとは「消えてなくなる快楽」なのである。

僕らはその刹那を愉しんでいる。その刹那を愉しむためには、ちょっとした集中力が必要だが、そうすればウイスキーは僕らを覚醒させてくれる。

僕はウイスキー愛好家が増えることを嬉しく思うが、ウイスキーは「消えてなくなる快楽」なのである。

ウイスキー人口の増大は、やがてウイスキーそのものを枯渇させていくであろうことは明らかで、例えばいくつかの蒸留所が閉鎖を余儀なくされた80年代、その「失われた10年」にウイスキーの生産量自体が少なかろうことは、統計を見るまでもなく明らかだ。

2000年を超えた頃、僕の中の漠然とした危機感は、やがて「価格」という形ではっきりと可視化されるようになる。ただ、そんな時代にも新たな勇者が現れ、今や新設蒸留所ラッシュの流れもある。

そのほとんどが、いわゆる小規模蒸留所であるところも特徴的だが、そこに関わる考察はまた機会を改めて。

2005年にキルホーマン蒸留所。2008年には秩父蒸留所。僕がそれらの蒸留器から新たな蒸留液が一滴生まれたニュースをどれほど喜んだことか、記憶に古くない。未来への希望の灯だったのである。

さて、いつものようにまた話が長くなったが、2010年頃、僕はハッキリと認識したのである。

「これまでのウイスキー」と「これからのウイスキー」。

そのふたつのウイスキーの違いを、やがてマーケットはゆっくりと認識するようになるだろう、と。そして、その始まりはキルホーマンや秩父の10年ものが気軽に飲めるようになってから以降のことだろう、と。

ここからはあくまでも個人的な記憶ではあるが、「そのために残しておきたいウイスキー」というのがいくつかあった。そして、十分にその覚悟を決めてストックしておきたいと思った最初の1本がこのウイスキー。

このウイスキーに蒸留所名の表記はなく、一応「蒸留所名不明」ということで話を進めて行くが、昨今「蒸留所名不明」として瓶詰されるウイスキーの多いことなら皆さん認識していると思う。

その始まりもまた、2010年頃からであったのではないだろうか。

この「蒸留所名不明」と言われる蒸留所から、70年代の逸品がその後多くリリースされるようになった。「スペイサイド・リージョン」あるいは「シークレット・スペイサイド」のような形で。

ただ、その「蒸留所名不明」の蒸留所から70年代の逸品は多くリリースされたが、60年代のものは数に限りもあるだろう。

10年前に「これまでのウイスキー」として認識したこのウイスキー。「これからの」飲み手のために残してきたウイスキー。

長らく封印してきたため、実はまだこのウイスキーを飲んだことがない。詳細なテイスティングコメントを記すことができないが、その分、僕がこれを愉しむことができることを嬉しくも思う。

シェア・バーにて小瓶詰替販売もご用意があります。
よろしくお願いします。

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