蜜蜂 第2話
夏の午後、ひそやかな自転車のブレーキの音に、僕はゆっくり振り返った。
自転車に乗るなんて、何年ぶりの事だろう?
少々ハンドルさばきがおぼつかない。後ろで菜緒ははしゃいでいる。
「翔さん大丈夫なの? 転ばないでよ」
「お前が重たいせいだよ」
僕は照れ臭さを隠すべく、いじわるを言った。
「あ、ひどーい。そんな事言うんだ」
菜緒はむっとした声を出し、そして僕の脇をくすぐった。
「わ、バカヤロ」
案の定、僕たちは自転車ごと倒れた。
「…いたーい」
膝を擦りながら、僕を睨んで菜緒は言った。
「お前が変な事するからだろ」
「翔さんが失礼な事言うからよ」
しばらくお互い黙り込んでいたが、どちらからともなく、吹き出した。
「ごめんね、翔さん」
「お前、膝擦りむいてるな。平気か?」
「平気よ、これくらい」
ぱたぱたとスカートを叩きながら菜緒は立ち上がった。
「いい年の女の子が膝に傷作ってるんじゃ、かっこがつかないな」
「チャームポイントと言ってよ。物事は良い方に考えるものよ」
全く、菜緒にはかなわないよ。いつも、こう思わされていた。
「だけど、さっきすごくイカしてたな。普通そういう格好をしたお兄さんは、自転車なんて乗らないものね。すごくすごくかっこいいなって思ってたのよ」
いつもの公園の、芝生の上に寝転んでいた僕に、隣で膝を抱えて座っていた菜緒は言った。
彼女はよく僕の事を"最高にステキだ"と言った。両親や姉弟に自慢したいとしきりに言った。
こんな髪が長くてしかも赤い夏の午後、ひそやかな自転車のブレーキの音に、僕はゆっくり振り返った。
自転車に乗るなんて、何年ぶりの事だろう?
少々ハンドルさばきがおぼつかない。後ろで菜緒ははしゃいでいる。
「翔さん大丈夫なの? 転ばないでよ」
「お前が重たいせいだよ」
僕は照れ臭さを隠すべく、いじわるを言った。
「あ、ひどーい。そんな事言うんだ」
菜緒はむっとした声を出し、そして僕の脇をくすぐった。
「わ、バカヤロ」
案の定、僕たちは自転車ごと倒れた。
「…いたーい」
膝を擦りながら、僕を睨んで菜緒は言った。
「お前が変な事するからだろ」
「翔さんが失礼な事言うからよ」
しばらくお互い黙り込んでいたが、どちらからともなく、吹き出した。
「ごめんね、翔さん」
「お前、膝擦りむいてるな。平気か?」
「平気よ、これくらい」
ぱたぱたとスカートを叩きながら菜緒は立ち上がった。
「いい年の女の子が膝に傷作ってるんじゃ、かっこがつかないな」
「チャームポイントと言ってよ。物事は良い方に考えるものよ」
全く、菜緒にはかなわないよ。いつも、こう思わされていた。
「だけど、さっきすごくイカしてたナ。普通そういう格好をしたお兄さんは、自転車なんて乗らないものね。すごくすごくかっこいいなって思ってたのよ」
いつもの公園の、芝生の上に寝転んでいた僕に、隣で膝を抱えて座っていた菜緒は言った。
彼女はよく僕の事を"最高にステキだ"と言った。両親や姉弟に自慢したいとしきりに言った。
こんな赤い髪して、イカれたような格好をしたヤツを"ステキな人"と紹介されたものならば、目ん玉ひんむいてぶっ倒れるだろうと僕は思った。普通の親なら、たまったもんじゃないと思うはずだ。
「冗談よせよ。ちっともかっこよくなんかないよ」
「どうしてよ」
ぷっ、と頬を膨らませて菜緒は僕の顔をのぞき込んだ。
彼女のきらきらとした大きくて深い瞳に、僕はドキッとする。
僕には幼なじみでもある彼女がいたが、この瞳は参っていた。僕は目を逸らして言った。
「今の俺には自転車なんか似合わないんだよ。正直言って、恥ずかしかったんだからな」
「でも、乗っけてくれたわよね」
「お前がチャリで来るからさ。仕方なかったんだよ」
「翔さんはどうしてそんなに優しいの? いちいち、私の我儘につき合ってくれるわよね」
今度は、少し哀しげな色を漂わせた菜緒の瞳が揺れた。僕は上半身を起こした。
「どうしてって言われても困るけど…」
菜緒は僕の肩にそっともたれて、僕は彼女の肩を抱きしめた。
「翔さんは最高にステキだよ」
もう何度も聞いた言葉だった。その度に僕は嘘だ、と嘲笑しくなった。
だけど、そんな風に思ってくれている菜緒を、僕はたまらなく愛しく感じていた。
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つづく
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