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渇望感と向き合うこと

どうしても赦せない相手がいるのなら、許さなくてもいいとは思います。
でも他者を赦すことは自分を成長させることでもあります赦してあげることができたあなたは、赦すことができなかった昨日のあなたよりも、一つ上の階段に上がれることを自分自身に許可してあげた、ということです。

仕事柄でも元々の性質でもありますが、私は表情をよく見ます。
人(自分も他社も)を赦せている顔と、人を赦せていない顔というのは、滲み出るものだと感じています。それは、その人の中の“乾き”ではないかと思うのです。

「まだ足りない」という感覚。その渇望感は自分のエネルギーを燃やすものになり得ますが、それだけが原動力となって動いている状態はあまり望ましいとは言えません。
つまり、「自分はまだ未熟だから」という自分に対しての渇きではなく、「満たされていない状態だから人に対して求める」という渇望のことです。

「理解されたい(私は間違っていない)」、「尊敬されたい(俺は凄いんだ)」、「承認されたい(私を見て)」、と、そうして他者に求め続けても、乾きは消えないということを本質的に知らないのだと思います。昔の私のように。

自分の中にある穴を先ず自分で認めて、自分で塞いで、きちんと水溜まるように整えて、自分でコツコツと水を運んで注ぎ、自分の心を潤し満たすことが大事なのであって、そうしなければ、穴を認めずに自分で塞ぐことも水を持ってくることもせず、雨が降らないのを外的要因の所為にして、誰かに水を貰えても、いつまでも満たされずに「もっともっと」となるわけです。

そしてそれは感謝によってしか満たされません。
例えば、人に凄いと思われたいからといって、「こっちを見て!俺は・私は、すごいんだ!」と叫んだところで、そちらを向く人はいるかもしれませんが、本当に望む未来にはなりませんよね。自分が置かれた環境に先ず感謝して、「こんなことでも力になれるのなら」と謙虚な姿勢で他者に力を貸し、自分にできることで貢献していくうちに、「凄いですね!ありがとう」と、結果として言われるようになりますよね。

渇望感そのものが悪いわけでなく、自分の渇きを他者に求めないことと、自分のエネルギーを燃やすのであれば他者に寄り添うことが、結局は自分のためになるし、そのためには赦すことも必要になって来る、と思ったりします。

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まりほ

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大阪在住のフォトグラファー&ライターです。人や商品の魅力を引き出す仕事を通して、感じたことや気づいたことなどを書いています。実は波乱万丈ですが、仕事とご縁のお蔭様で笑って生きています。 Insta →maliho.photo