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ゲストハウスは自分と出会う場所だったのかもしれない

以前、自己紹介の文章で17歳の時、沖縄と九州をヒッチハイクして周った事を書いたが、その時の自分の心境と出会った旅人たちの事を書こうと思う。

今思えば17歳が私の初めての転機で、毎日すごい勢いで新しいモノをスポンジのように吸収して、行動して、色んな人に出会って、本当に恵まれている人生だと思う。

どうも昔から、色とりどりの人生を描いてる人と縁がある。

小さい頃から、オタクやヤンキーどちらとも仲良くなれるタイプで、いわゆるスクールカースト制度みたいのに囚われず生きて来たところがある。

それは、家族の影響で特に母親に似たのではないかと思うのだが、自分に持っていない感情や思考を覗きたいという好奇心が勝っていたのかもしれない。

そんな好奇心が一番強かった頃、当時5個年上の友人と一度沖縄に旅行に行った事がきっかけで、今度は住みながら旅をしようという計画になった。

私たちがルールの中に決めていた事は、

とにかくポジティブな場所しか行かない

人に勧められた場所は積極的に行く

好きなだけ寝て、好きなだけ食べて、好きな場所に行く

沖縄には悲しい歴史もたくさんあるので、そういう場所は別の旅の時にちゃんとした気持ちで行こうという話になり、今回の旅は兎に角、運と縁と勘を最大限に感じる五感の旅がしたかったのだ。

当日とっさに買った沖縄のゲストハウス本を見ながら、行きの飛行機の中でどこに泊まろうかという話になった時、普通に探したらつまらないからと目をつぶって開いたページに泊まるという方法で宿を見つけた。

その時に開いたページで目に入ってきたのが、国際通りから大股50歩!という謳い文句のゲストハウスだったアホだから実際に計ったが確かに50歩くらいだった笑)

そのゲストハウスは国際通りの路地を入ってすぐの大きめな一軒家で、1階は女性用ドミトリー、2階は個室と男性用のドミトリーがある。共有スペースである玄関入ってすぐのリビングは、15畳以上あって畳が底上げして作られており、冬はこたつも出ている。そこでみんなで漫画を読んだり、ご飯を食べたり自由に使っていた。

そこに約1ヶ月程滞在したが、本当に様々な人種、年代、事情を抱えた人がいた。

有名大学のお兄さん、乳首にピアス開けてるオーストラリア人、昨日会社辞めてそのままノリで沖縄来ちゃったサラリーマン、リストラされたおっちゃん、謎の水商売のお姉さん、家出しに来た那覇の子、いつもは優しいのに酒が入るとうざ絡みするおっちゃん、日本一周してるバイカー達、北海道から歩いて沖縄来た人、画家、詩人、本当に色んな人がいた。

皆何者か謎なのである。でも深く関わると酒の席で過去の話をポロっと出す様な人は後に何者か分かったり今も縁が続いているが、最後まで何者か分からなかった人達は幸せに生きているのだろうかとたまに考える。

そもそも、幸せの定義とか人生とか仕事とかそんな括りで語れないカオスしたものがゲストハウスには詰まっている気がする。特に沖縄という場所が余計にそれを凝縮している気がする。

私の旅は、最初に「ルール」で決めたように学ぶ旅でも自分探しの旅でもなく、ただやりたかったからする、THE好奇心のみの旅だった。

その当時、既にmixiというSNSがあり、何かしら出会った人たちと繋がれる時代になっていたので、何人か今でもたまに連絡を取っているが、繋がっている友人は自分探しの旅ではなく、旅をやりたくてしたという人な気がする。

ゲストハウスも土地柄や滞在してる人や管理してる人によって色があると思う。

那覇のゲストハウスはあんなに居心地が良かったのに、石垣島に行った時に泊まったゲストハウスがどうも合わなかった。そこに長く滞在している人たちは皆優しかったのだが、何だか居心地が悪かったのだ。

何故だろう。私は特に霊感はないし、オカルト的な話をしているつもりはないんだが、そこに泊まっている人たちの黒目が死んでいたのだ。多分、エネルギッシュな旅人と一緒にいたので、余計感じたのであろう。

今は厳しいと聞いたのだが、私が行った10年以上前は国際通りで自由に物売りや商売をするのが許されていた。そこで出会った友人の多くはバイカーが多いゲストハウスの旅人達だった。

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ある時は、一緒にホームセンターに大きなベニア板を買いに行き、国際通りでライブペイントをした。その後私が泊まっていたゲストハウスで打ち上げしたのが良い思い出である。(私は料理係)

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コレはその時のライブペイントの写真だが、この写真に写っている手で絵を描いている人が旅人なっちゃんである。

なっちゃんは沖縄のバイカーが集まるゲストハウスで管理人をしていて、同じゲストハウスの料理長(料理人だったから?笑)と出会い、後に結婚。今は、鎌倉にゲストハウスを作って10年目である。

旅で出会ったなっちゃんは、中国をママチャリ?で横断しようとしたり、兎に角、愉快な旅人で、旅を終えてからもしっかりその時の経験を形にして継続しているのを聞いて、私も頑張ろうと勇気付けられた。

悪い意味ではなく、気質が旅人な人は大概がはみ出し者である。自由を一度知ってしまうと自分で形にしていくしかないと私は思う。そして、本当に自由の中、形にするのはとても大変だし継続するのは努力と色んな出来事の上に成り立つのだと思う。

しかも、なっちゃんは4人の子持ちというスーパーママなのである。前になっちゃんが、夫婦別々に年に1回子供を連れて旅に出てるという話をしていて、とても素敵だなと思ったのと同時に、二人ともあんなに旅をしていたし、たまには一人で旅したいと思う?と聞くと、「子供と一緒に旅すると一人では絶対に行かない場所や発見があるから面白いよ」と言った彼女の言葉が印象的だった。

また、「1人で旅は散々行ったしね。子育ては最高に面白いで〜!!」という言葉に本当の自由を感じた気がした。

そんな彼女の運営しているゲストハウスは何度か行っているが、囲炉裏のある素敵な宿である。

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私がいつも行く時は、外国人も多く、シーズンによっては大学生のグループなども多い。人種や年齢関係なくコタツや囲炉裏を囲んでその瞬間を楽しむのだ。

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沖縄の何者か分からないカオスな環境とは違い、鎌倉は純粋に出会いや土地を楽しみに来ている人が多い。正直、私らが泊まっていたゲストハウスの時ってそんな綺麗じゃなかったけど、最近のゲストハウスはホテル並みに綺麗に掃除されているし、フカフカのお布団と昔の日本の空気感が漂う鎌倉ゲストハウス』は、何よりも清潔さと暖かみを感じる。

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『鎌倉ゲストハウス』もコロナの影響もあり、ローシーズン中の2月からじわじわとキャンセルが目立ってきたそうで、本来であれば盛り返す3月春のシーズンに加速し、緊急事態宣言を受けてからはほぼ稼働しなくなったそうだ。そうなると、実質半年近く赤字になってしまう。

休業要請のない宿泊施設には協力金というものが得られず、国の補助金も赤字を埋めるだけの延命処置にしかならず、宿が致命的に苦しい状況に追い詰められ、「もう終わるしかないのか」と半ば絶望していた時、友人からクラウドファンディングのアドバイスを貰ったそうだ。

私も初日に微力ながら支援させて頂いたが、2日であっという間に目標金額を達成した。ただ、達成してもこの先まだ影響は少なからずどの業種もあると思う。

クラウドファンディングは、今個人事業主たちの唯一の救いの場所ともなっている。

クラウドファンディングとは「群衆(クラウド)」と「資金調達(ファンディング)」を組み合わせた造語で、「インターネットを介して不特定多数の人々から少額ずつ資金を調達する」ことを指しています。

一般的に上記のような資金調達の手段としての意味合いが多いが、今回のような大きな出来事があった今、実際会ったことない人でも繋がりを感じ未来に投資する人の情の様なモノを強く感じる。

こんな短期間で達成したという事実は、なっちゃんたちを含め、『鎌倉ゲストハウス』が如何に愛されていたかが分かるなぁと思った。

私の中でゲストハウスは半分、宿、半分、家である。

刺激や出会いを求めてくる人もいるし、心の傷を和らげたい人も来る。

なっちゃんと料理長、スタッフ、また泊まってくれたお客さんが作った『鎌倉ゲストハウス』はその人にとっての暖かい居場所なのである。

若い子やおっさん、学生や誰かの親とか関係なく、そこでは本当の自分になれる空間がある。

高校もロクに行かず旅をしていた私だけど、今思えば旅は自分の未来の投資だったなと思うし、ゲストハウスはある意味本当の自分と出会う場所だったのかもしれない。

彼女たちのクラウドファンディングから未来予約ができるので、是非一度訪れてみて欲しい。







仕事後のお疲れビール代にさせて頂きますぅ🍺🥺