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42歳の私が、スキルや知識ではなく何を学び直せばよいかを考えた話

私は今42歳で、IT業界で永く働いています。


二十代の頃はとにかくエンジニアとして出来るだけ上流に行くことを考え、そして30を目前に管理職の道が開けてきたところでは「管理者としての尖りを身に付けよう」ということを考えるようになりました。


私を突き動かす動機は、常に不安でした。

不安の根源にあるのはスキル不足であり、経験不足だったように思います。


ですから、自分がIT業界で闘っていくためにスキルアップのために動き続けることは当然のことでした。


業務終了後に新宿の本社でサーバとスイッチ(ラボ機)にLANケーブルをスパゲッティのようにぶっ刺してネットワークの疎通が通るかを検証したり、勝間和代さんが勧めるスキルアップのための本を買い漁って全て読んだり。


今にして思うとよく頑張っていたと思うんです。


それと並行して、私の場合は英語がある程度使えることがIT業界で闘うには大きなポイントだったことから、そこを伸ばすこともまた非常に大きなことだったんです。


逆に言えば、当時の私にはIT業界で闘うには英語以外何もありませんでした。ですから、何もない自分が知識も経験も無い状態で対応して、とにかく怒られるんですよ。まだ当時はパワハラなんて言葉はそれほど浸透していなかったですからね。


ただ、英語で職場を助けると、みんな優しくなるんですよ。だから、そこまで特段私の英語は素晴らしいわけではなかったのですが、自分がただの実力不足のエンジニア見習いではなく「見習いだけどあいつ助けてやりたいなぁ」って思ってもらうための理由として英語が必要だったということなのです。


そうやって忙しい日々を送っていると、ふと気づくと感じることがありました。


あれ?

私、もしかして学生の頃より勉強してる?


あの頃に時間と体力の余裕があれば、こんな勉強を当時やっておいても良かったのではないかと思いますが、必要に迫られ、自分の課題として見えたからこそ少ない時間で余裕が無い中こうして頑張っていられる。


過去の自分に「おいお前、あれ今のうちに勉強しておけ」と言ったところで恐らく響かないことでしょう。何故なら当時の自分には彼女に詰められてメンズノンノでファッションや雰囲気を学び、映画「Red Shadow赤影」を見させられる方がよっぽど大きな問題だったのですから。

よく「子供の頃に戻ってあの頃の自分にもっと勉強するように言いたい」とか、「あの頃もっと勉強すればよかった」なんて仰る方が結構居ますが、正直なところそれは今の自分が必要に迫られたからこそ言えることなんですよ。


そういう後悔があるからこそ、多くの親たちは自分が子供の頃に勉強していなかったにもかかわらず子供に勉強するように言うんです。


でも、歴史は繰り返します。

子供たちもまた、勉強しないんです。

そして、彼らも大人になって後悔するのです。


これはもう、仕方ないことなんですよ。必要に迫られるという強烈な動機が無ければ、強い意志を持つか、しないことに対する恐怖心を抱くかしない限り楽しいことの方に目移りしてしまう。


子供にとって学ぶとことが今の自分と将来の自分に必要なのかを受け入れやすい形で向き合って説明しなければ、その言葉は届きにくいと思うんです。子供の頃に前向きに勉強することは難しいことなんですよ。


だから、学ぶ必要がある時にこそ、人は学べば良いのだと私は思います。


そして、今の42歳になった私について考えてみましょう。


若いころはとにかくがむしゃらにIT業界で生き抜くために様々なことを学びました。子供の頃は嫌々ながらも将来に対する不安から与えられたことを自分のものにしようと努力し続けました。


それらは今の自分の血となり肉となって、仕事をする上で本当に大きな助けになっています。もっと出来たとは思います。100点満点は付けられないとも思います。


でも過去の自分に対してそれほど後悔はありません。


当時の肉体的、精神的な限界がある中で、逃げることもあったし、後ろ向きになることもあったけど、最終的に前を見てそれなりの成果が得られた。そして今、悪くはない暮らしが出来ている。


経験もスキルもそれなりにある。

そういう自分が居る。


そんな中で、じゃあこの後何を学べと言うのでしょうか?


「学ぶ」「学び直す」というと私も含めて考えがちなのが、スキルに特化したものです。例えば私が今居るITの世界においては製品や技術が日々アップデートされていますので、「学ぶ」というとそっちに行きがちなんですよ。


実際、製品や技術について学ぶことに意味はあると思います。知っていた方が知らないよりもはるかに話は通りやすいですし、そのことによってスムーズに対応できる部分って勿論あるんですよ。


ただ42歳にもなると、トラブルシューティングや各種調整とか、業務の中心がそちらの方にシフトしているんです。要するに、私自身が製品や技術について全て知ることが最優先課題ではない訳です。


そういうことは私が全て知らなくても知っている立場の人から情報を吸い上げて、集約して、何が問題なのか、どう解決すればいいかを導ければ良い。


今の自分に対して危機感を覚えることは大事だと思います。そうしなければ自分の前進は今後ないことは今までの経験からとてもよく分かっているつもりです。


ただ。

今の私には、今の私に求められることがあります。


危機感からつい目に付くところにがっつきたくなる気持ちはありますが、若いころと同じようにスキルや知識といった部分に対して我武者羅に向き合う立場にはないということを覚えておかないと時間を無駄にしてしまいかねないのです。


そう考えると、学び直す意欲はあっても、一番難しいのは「今の自分に何が必要なのか、そして何を学ぶべきなのか」を選定することではないかと思うのです。


危機感から学び直しの対象をスキルにしたくなる気持ちをぐっと抑えて、42歳の私がいま改めて考えます。


問題を管理する、業務を管理する立場として何が必要なのか。


そして、

ふと気づいたことがあります。


問題の管理、業務の管理って、日々の生活でも存在しているんです。


今の年齢になると、生活の中でいろんなことが起きます。マンションの理事をしていたり、実家でちょっとした問題が起きたり、自治体に生活に関する書面を提出したり。


それは恐らく、何よりの実践的な訓練だと思うんです。


知識やスキルを身に付けるよりも、恐らく私にとって大事なのは、職場を離れたいち生活者として何がベストかを論理的に考えて、ベストとなる何かを導き出すこと。


これに尽きるのではないかと。


日々の生活の様々なことって、つい雑になりがちなんですよ。そして、雑にやったツケが後々回ってくる。いろんな人から指摘を受ける。そして、面倒なことになって自分に返ってくる。


そして、その失敗から案外学ばない。

同じようなことが巡って来て、また雑に扱ってしまう。


日々の生活を丁寧に、誠実に、そしてベストを尽くすことが、案外私の中で仕事をする実力を高めることにもつながるし、そして人間としての自分を見つめ直す結果になるんじゃないかと思えたんです。


ちょっとこれは、ちゃんとやってみよう。


日々の生活を、ちゃんとする。

簡単なようで、そして必要なことではあるけど、でも出来ていない。


これを仕事の上での「学び直し」や「スキルアップ」に当たるかは分かりません。ただ、少なくとも私の中でこれは、生きることに対する「学び直し」であり「スキルアップ」に繋がることではあるのです。


よし。


次の理事会は、もっとちゃんと、誠実に参加しよう。

今年の確定申告は、もっと早く、確実に終わらせよう。


そういうことからなんだ。

私にとっては。

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自分が子供の頃って、友人のことを観察していたし、良くないことをする子からは自然と離れていった覚えがあります。

これは、子供にとってかなり生きた勉強なんだろうなぁ。親としては心配この上ないですが。


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