春の色

人生で2回、パーソナルカラー診断というものをしたことがあるが、2回とも結果は一緒で「スプリング」であった。簡単に言えば、私の肌の色や髪の色には明るく鮮やかな色が似合うということらしい。肌の色や髪の色は生まれつきのものなのでこのパーソナルカラーというのは一生変わらないとのことだ。パーソナルカラーを知ってからというもの、私は自分に似合う色よりも自分に似合わない色が気になるようになった。特に黒という色。昔から黒が似合わないというのはうっすら感じていたものの、もう少し大人になればきっとリトルブラックドレスが似合う淑女になれるはず、と微かな希望を抱いていたが現実は非情である。中学1年生の時に黒髪に違和感を感じて明るい色に染めていた私の美的感覚もあながち間違ってはいなかった、という点は自信に思うことにする。

時は春。どんなにコロナが蔓延しようと、外出が制限されようと、やはり春は美しい。家で過ごす時間はたっぷりあるので、今年はたけのこや蕗のアク抜きをしたり(例年八百屋さんにお任せ)、ベランダで植物を育てたり(テッセン、クチナシ、薔薇、ナス、トマトが仲間入り)、それなりに春を満喫している。

しかしながらパーソナルカラースプリングの私である。いくら外出ができなくとも春色の服を物色しないとやはり春がこない。とはいえ試着できないのは不安だ。なので最近はよくネットで洋服をウィンドウショッピング、という際限のない妄想にお出かけしてしまうのだが、そうしていてふと気がついた。いや、実際にはだいぶ前から気がついてはいたのだけど、日本にはあまり綺麗な色の服がない。多くは白、黒、ベージュ、グレーで、ピンクやグリーンといった色の服でも彩度や明度が高くない落ち着いた色味である。そしてスプリングにはこの手の落ち着いたトーンの服が似合わない。いや、もはやパーソナルカラーがどうこうといった問題ではなく、単に綺麗な色の服を身に纏いたいのだ。こんな生活だからなおさらに。

そういえば、鮮やかな色に染める技術としてはイタリアが随一であると聞いたことがある。色の定着を優先させる故に彩度が低くなってしまう日本と、色落ちしてしまうことよりも色の美しさを優先させるイタリアの文化の違いがあるとのことだ。鮮やかな青や黄色のシャツが映える国イタリアは今、コロナという黒い影に覆われている。喪服に身を包んでいる人も多いことだろう。少しでも早く、元の彩りを取り戻せることを祈ってやまない。

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