3図1

遠慮と配慮の違いってなんだろう。

最近、自分は配慮ができないなぁと感じているので、改めて考えてみた。
Googleで情報を見漁っていたところ、以下のブログがとてもしっくりきた。

(ブログより流用させていただいています)

国語辞典によりますと、

『遠慮』
  1 人に対して、言葉や行動を慎み控えること。
  2 辞退すること。また、ある場所から引き下がること。
  3 遠い将来のことを思慮に入れて、考えをめぐらすこと。

 『配慮』
  心をくばること。心づかい。

『慮』という言葉は、思い、考え、という意味のようです。『慮(思い)』を相手から『遠』ざける遠慮と、『慮(思い)』を相手に『配』る配慮。
似たような言葉ですが、中身は全く違うように思えます。

主語・反対語を考えてみましょう。
 私なりの解釈ですが、

『遠慮する』⇔『(自身の行動が)身勝手・図々しい』 
     ・・・つまり、自分基準での捉え方。

『配慮する』⇔『(相手の心情への)思い遣りが足りない』
     ・・・つまり、相手基準での捉え方。

最近、組織の中でも遠慮する人は増えているように思いますが、配慮できる人は減っているように感じます。

・せっかく掴んだチャンスなのに、遠慮してチャレンジしない。
・本来言うべきことを、遠慮して言わない。

社会・企業経営・組織における評価はもちろん、自分基準ではなく相手基準。
 つまり、遠慮は自己評価、配慮は周囲からの評価となります。
遠慮を配慮に変えるためには、自分=他人ではなく、自分≠他人の考え方が必要です。
( × 自分はこう思うから、相手もきっとこうだろうという考え方)

自分と相手は異なるもの。だからこそ自分から相手に歩み寄ろうとする行動
が必要です。遠慮して行動を慎む、のではなく、配慮ある行動を積み重ねることが重要ですよね。

この「自分=他人」ではないというのはとても難しい。

なぜ自分が「こう思ったのか?」というと、自分1人だけの気持ちではなく、色々な話を聞いて感じた結果なんだけど、その結果を相手に「否定」されると、「あれ?この提案って独善的だったのかな?」と思ってしまう。

特にマーケティングとコンサルティングの業務を並行していると、どうしても「●●(導きたい結論)に合う情報」を無意識に探してしまい、マーケティングの上、ターゲティングしてしまう。これは営業の一種の癖だと思う。

そうならないためにフラットな判断ができる状態をつくることが必要だし、相手への伝え方として独善的ではなく、あくまでフェアな立場から伝えている、というポーズをとる力も大切となる。

フラットな判断ができる状況はつくれるし、つくるべきだと思う。
ただ相手への伝え方、それまでの根回し。。
・・・大切なのはわかっているんだけど、そこに労力を割くというのはやっぱりできない(というかしたくない)。

これは自分のエゴだというのはわかっている。だけど、やっぱ根回しとか事前共有とか、そういうのって前時代的だと感じてしまうんだよなぁ。
※言っていることがマネージャー失格というのは自覚しています<m(__)m>

自分がマーケティングして導き出した結論であれば、それは「正」だと思う。じゃあそれが否定されたら「正」に共感してくれる仲間と事業を進めていくべきなのだろうか?
もしくは導き出した「正」をチューニングしながら少しずつ相手方の「正」に近づけるべきなのか?

会社人である以上、後者なんだけど、前者であるためには自分ですべての責任を持てる立場にいる必要があるんだと思う。
(社長とか事業責任者とか)

はぁ~難しい。
畳みかたがわからないので唐突に終わります。

おわり。

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