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写真から色を捨てるという課題

面白い課題をやった。自身が主宰の「写真✕環世界講座」でのことだ。課題はこうだった。

<植物っぽい>写真を撮って提出する。

プロセスは下記の通り。

1.植物という観念を一端捨てて一度解体する
2.そこから植物を再構築
3.自分で新たに植物の定義を決める
4.その心象を元に<植物っぽいもの>を撮影する

という課題だった。

「ぽい」ものなので、それは植物ではなくてなんでもよい。自分で辞書を創るつもりで新たなる「マイ定義」を考えて撮影するのだ。

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まずは「植物という観念を一端捨てて一度解体する」

この蔦の生えている周辺は木々や足元は雑草に覆われていて、どこをみても緑に囲まれていました。まさに全てがミドリ色。上も下も横も後ろもミドリ色。
 
まずそんな森のような場所で植物を捨てることが難しかった。特に緑という色を頭の中から拭い去る作業は無理だった。なのでまずこの「ミドリ色」を捨てるにはどうしたら良いかと考えた。
 
そこでピンときた!
いつも我々が普段からそれってやってるじゃないか!

「色を捨てる」
モノクロ写真だ。
まさかこんな使い方をするとは思いもしていなかった。
 
思い起こせばモノクロにする意味とはこういうことだ。
・最大の特徴はカラーではないということ
・情報量を減らすことができる
・想像力を掻き立てられる
・よって印象だけが残る

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がしかし、モノクロにも色があると言われている。よくバナナとリンゴと葡萄が並んだモノクロ静物写真で色を見たりする。
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そこでそのモノクロからイメージされる色も捨ててしまおうということで。

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完全に植物色がなくなった。そして緑という色が消滅したとたん見えてきたものがあった。
 
そこから植物の再構築を始めてみる。
 
◯(植物が)生きる意味って何? 目的は?
◯どこへ向かって伸びている?
◯移動をしない
◯目標とか夢はあるの?
 
◯このヒトタチ、生きているのに動かない。
◯動かないのになぜか生命力を感じる
◯生きているのに悩みがなさそう
◯餌を自ら取りに行かない
◯欲がない
◯生死も自分で決めない
◯生死も人任せ、自分事ではない。
◯なにかにゆだねてる。
◯ゆだねてさえしてないかも
◯世界が自分しかない

◯人間が「緑って癒やされるよねー」なんて言ってるけど知らんぷり。癒そうなんてこれっぽちも思ってない。
 
◯人間と真逆な生き方
◯動けないのにこれが本当の自由かもしれない
◯まさに本当の自然体
◯あるがままの姿
◯あるがままの生き方
 ↓
以上のような心象スケッチから導き出されたのが「雲」であった。よって下の写真は植物なのです。

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