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未来、自由、そして"しなやかさ"。

未来は「未だ、来ていない」から未来。

もしもこの世に生まれてから、この世を離れるまでに自分に起こるすべての物事が確定しているのだとしたら、あとはその未来が訪れるのを淡々と待つのみ…ということになります。でも、そのような世界は何だか虚しい。

この先に何が起こるかは予測できず、確定的ではないからこそ、未来から振り返った過去、つまり「現在」をどのように積み重ねてゆくのかに集中することが大切なように思います。

それは「今さえ良ければいい」ということではなく、常に変化し続けている自分自身、自分を取り巻く環境と対話しながら、しなやかに流れ続ける。

水はただただ流れる。風はただただそよいでいる。水も風も自分の行き先は知らず、ただただ流れている。決まった形を持たず、一瞬一瞬でしなやかに変わっていく。

ですから、「これからどのようなキャリアを歩んでいきたいですか?どのような人生を送りたいですか?」と聞かれたとしたとき、言葉が出てこなくてもいいと思うんです。

もちろん、目標や目的を明確に定めて、目標や目的の実現のために成すべきことを取捨選択し、限られた時間を集中させることも大切だと思います。

ですが、変化の激しい世の中ですから、「完璧な計画」を作ったとしても、ふとした瞬間に計画の前提が大きく変わることもあるかもしれません。

「何が起きるのか分からない」のであれば、大切にすべきは一瞬一瞬の声、自分の内側の声や世界の声に耳を澄ませて、違和感を感じたら、その違和感が少なくなるような方向に歩みを変えてゆくことであるように思います。

かすかな声に耳を澄ませるための「静けさ」や「穏やかな時間」を生む余白をつくりたいものです。自由、余白、しなやかさ。

高木正勝さん(映像作家・音楽家)のエッセイ集『こといづ』で語られた「一瞬一瞬」という言葉が響いて、思うままに綴ってみました。

今までいったい、どこを見ていたのだろう。これほどまで細やかに、季節が移り変わってゆくなんて。季節が4つだなんて大雑把もいいところで、二十四節気や七十二候などの分け方があるように、ほんとうに細かく毎日変化していってる。

高木正勝『こといづ』 にじみ

枯れ尽くしてすっかりくすんだ芽が、ある日突然、最後の灯火とばかりにわあっと黄金に輝き出したり。桜の木の、葉がすっかり落ちて寂しい感じが、枝だけどんどん赤々と染まって、そこら中もうピンクの枝だらけ。山から流れる水の色が蒼々と変わったり、土がほくほく出したり、風の音と鳥の鳴き声が重なりあったり。めまぐるしい小さな変化が山積みになって、そのうちに「ああ、たしかに春だ」と確信する。ちっとも見てなかったなあ。

高木正勝『こといづ』 にじみ

都会は情報量が多いって言われるけれど、むしろ少ないと思うようになった。物の数は多いけれど、情報の幅が狭いというか、限られた方向を向いたものしかないのだなと感じられる。山だとちょっと歩いただけでどどどどどっと水平にも垂直にも命があふれていて、毎日が、二度と来ない一瞬一瞬が、もったいなくて忙しい。

高木正勝『こといづ』 にじみ


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