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リゾート=「重ねて行きたくなるような潤いのある息抜きのかたち」

今日は『日本のデザイン』(著:原研哉)から「アジア式リゾートを考える」を読みました。

昨日読んだ内容を少し振り返ると「空間とは何か?」というテーマに触れました。日本の未来資源である「美意識」を観光という産業の中で活かしてゆく。著者は「もてなしの織物」という表現を使っていますが、もてなしの全てが自然に無理なくひとつなぎにつながっていること。

そもそも何かを「編む」という営みは逐次的(sequential)であり、叙述的(descriptive)。どこからどのように編み込んでいくのか。全体が調和するように部分を重ねていく必要がある。決してツギハギではないということ。

さて、今回読んだ範囲では「リゾートとは何か?」というテーマが展開されていました。

リゾートという言葉から何を連想するでしょうか。青い海、晴れ渡る空、波の音、深い緑、荘厳な建築物などなど。いわゆる「リゾート」という概念にまつわる何かしらのイメージがある。それは先入観なのかもしれません。

それにしても今日のリゾートホテルは画一的だ。「幸福のかたちはどれも似たようなものだが、不幸は様々に不幸だ」というのはトルストイ『アンナ・カレーニナ』の冒頭であるが、類型にはまる安心感が愉楽に通じているのだろうか。降り注ぐ陽光。広いプールに日よけパラソルと寝椅子。椰子の木と白い波頭。素晴らしい眺望の上にしつらえられたレストラン。そして異国情緒を加味した西洋式料理。非日常のなかに約束された安心と憩いの一本道。

いわゆる「西洋式」のリゾートが唯一のリゾートというわけではない。そもそもリゾートとは何でしょうか。著者は「重ねて行きたくなるような潤いのある息抜きのかたち」と述べます。そこには西洋も東洋もなく、本質的には「息抜き」できるか否か。

類型に浸るのが心地よさへの近道かもしれないが、そろそろお決まりの植民地式リゾートから自由になって、アジア式リゾートを考えてみるのはどうだろう。同じインドネシアならこんなアイデアはどうか。インドネシアは一万八〇〇〇にも及ぶ島々からなる国で、東西はアメリカ合衆国と同じくらい広い。その島のひとつを「巨大植物園」として運営する。植物園といっても温室やフラードームが並ぶようなものではない。ガラスの温室も面白いけれども、ここではその土地の風土にあう植物を、できるだけなにもしないで、自然のままに育て上げるボタニカル・ガーデンである。

あるがままの自然を味わい楽しむ。人工的な世界を創造するのではなく自然との調和の中で息抜きをする。そもそも自然は流動的で多様。画一性から脱するためには自然に還り自然に浸る。そんなことを思ったのでした。

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