物の流れには順番があるということ
今日は『血流がすべて解決する』(著:堀江昭佳)より「なぜ、あなたの血流はよくないのか?」を読みました。
血の流れが悪ければ、酸素や栄養、ホルモンが身体の隅々に行き渡らない。結果的に身体、精神が不調をきたしてしまいます。身体のみならず、様々なシステム、ネットワークが不調をきたすのも、重要な部分が壊れてしまうか、流れが滞ってしまう時です。
たとえば、2018年9月に北海道で発生した電力システムのブラックアウト(大停電)も発電所(供給)が連鎖的に停止することで起きました。流れが滞ることで、システム全体が不調に陥ってしまうことを実感する一例です。
血流が悪くなる原因は3つあり、順番が決まっている。「血が足りない」、「血が流れない」は意識できましたが、「血がつくれない」は盲点でした。自分が普段生活している中で「血がつくれない」を意識する場面がないからです。
血がつくれないというのは「そもそも」の話で、ここが解決されなければ、血流の問題は解決しない。たとえば、経済の血流として「お金の流れ」がありますが、そもそも「お金」を発行する能力がなければ循環しようがありません。それを担うのが中央銀行であり、仮想通貨やトークンの発行体も該当します。
あるいは、川の流れもそうです。川の上流に雨が降り注がなければ、水は流れません。雨は熱循環がもたらしているわけですが、そもそも気候が変わってしまうと雨が降るべきところに降らなくなってしまう。
最近思っているのは人の集団、社会、組織やチームにおける「血」とは何だろう、ということです。たとえば「想い」なのかなと思います。「〇〇を達成したい」「誰かを支えたい」「成長したい」などなど。想いを動機と言い換えてみると、動機にも「外発的動機」と「内発的動機」があります。血というのは「内発的動機」に相当するのではないか、と感じています。
自分の内側から湧き起こる衝動は枯れはてているということは、血をつくる力が衰えているということ。外からの動機付けだけでは、集団全体が活力を失ってしまうのではないか。そんなところです。
「血がつくれない」ことを「気虚」と呼ぶのはなぜなのだろう。「気持ちが空虚」ということなのか。気持ちが入らない、身が入らない。そもそも気とは何だろう。そんなことを思うわけです。
あるいは「場の空気」ってありますよね。カラッとしている空気。明るい空気。生き生きとした空気。どんより重い空気。沈んだ空気。乾いた空気。湿りした空気。温かい空気。穏やかな空気。冷たい空気。ギスギスした空気。
話は横道に逸れましたが、一人ひとりが本来持っているはずの「血をつくる力」を発揮させないようにしている要因があるならば、それを取り除くことから始めることが肝要なのだろうと思うわけです。それに気づかなければ始まらないのですが、血流をイメージしてみると気づきやすくなるかもしれません。
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