人の身体、血流を解像度高くイメージする。
今日は『血流がすべて解決する』(著:堀江昭佳)より「「血液サラサラ」にしても血流はよくならない」を読みました。
「(何かの)流れを整えたい」と思った時にヒントになるイメージを持ちたい。体内を巡る血の流れは、自分事として捉える上で格好の題材のように思います。自分の血流は整っているだろうか。血の流れを整えるにはどうすればよいのだろうか。本書を読みながら自分の問題意識、解消のプロセスを実践すれば、実感を伴う身体知が蓄積されていくのではないか。そのようなことを考えました。
「血流が悪い=血液ドロドロではない」
著者の言葉にハッとしました。テレビのCMや健康番組などで流されている「血液ドロドロ」の映像が脳裏に焼き付いています。血液ドロドロのイメージが先行してしまい、そもそも「血流が悪いとはどういうことか?」という問いを立ててはいませんでした。
先入観は問いを立てる妨げになりますね。逆に言えば「そもそも」を考えることは先入観から離れるきっかけにもなります。
「血が足りないひとが血液をサラサラにしても、まったくの無駄」
血の量が足りないということは、血管の中を血が「チョロチョロ」と流れている状態です。チョロチョロと流れている状態というのはそもそも勢いがありません。流れの強さが十分な中で、ドロドロかサラサラなのか、という質が問題として浮かび上がってくる。
理想を言えば「血の量も質も良い状態」なのだと思いますが、まずは「血の量」に注目してみるということ。
チームや組織なども人体に例えられることがありますが、そこでの血とは例えば「会話」や「情報」や「アイデア」だったりするのでしょう。会話が少ない。情報が少ない。アイデアが少ない。そのようなチームや組織に対して活発なイメージはなかなか持ちにくい。「質は問われず、些細なことでもフラットに共有できる環境」は、血の量が潤沢な人に重ね合わせることができるのかもしれません。
漢方薬剤師である著者は10年間で5万件もの相談を受けてきたそうですが、実に9割の人が血が不足している状態「血虚」とのことです。
「栄養もサプリメントも、血の量が足りなければ全身に届かない」との言葉にハッとしました。日頃から栄養に気を配っていたとしても体内の隅々に届かなければ意味がありません。
問題を構造化して正しく捉えること。もちろん、色々な要素が複雑に絡み合っている場合は問題を切り分けることが難しいと思いますが「どこが問題の根幹なのか?」を把握しなければ一向に解決には向かわない。
人の身体、血流に対する理解を深めることで視野が広がるように思います。
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