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UFOか、神か

中学生のとき『UFOと宇宙』という月刊誌を友だち3人で回し読みしていた。日本初のUFO情報専門誌。いまはもう出てない。最新号がでると、そいつを握りしめ、学校の屋上にあがって、高円寺から南に向かって11時方向の遠くにあやしく動く小さな光を見つけては、歓声を上げてたっけ。。。まあ、それは、羽田空港に離着陸する飛行機の航空灯に過ぎなかったんだけど。。。

このところ世界でUFOの目撃情報が激増している。あまりに多いので、各国の防衛担当者も看過できない状況。河野防衛大臣がグアムでエスパー米国防長官と会談した際も、UFO対策が話題になったとのこと。話の内容は伏せられているが、それに続くかのごとく、自衛隊機がUFOに遭遇した場合の対処方針の策定に防衛省が着手したということで、こりゃー、よっぽどの危機感なんだろう、と想像する。

ひとびとの安心安全を、いかに守るか。それを、防衛担当者はいつも考えて、万一のときに備えた装備、編成、配置、訓練を日々怠らない。ひとむかしまえだったら、UFO? ふふっ、おもしろいですねぇ、と一笑に付されて終わってたけど、ここにきて、明らかに空気感が変わってるよね。主要国は宇宙軍まで創設してるし。。。

安心安全のためには、万一のリスクを想定して、どう対処するかを、あらかじめ準備しておく必要がある。

そこでね。。。人生における最大のリスク。。。それを考えた場合、それは、UFOではないし、ゴジラでもないし、ゾンビでもない。ベテルギウス超新星爆発でも、ポールシフト(地軸反転)でもない。。。「神」なんじゃないかと思う。

だって、神なんか、いねーんだよ、と思って好き勝手に生きてて、でも、ある日とつぜん神が、どばーって到来したら(いや、どういう効果音が適切かわからんけど)そしたら、もう、へなへなと床にくずおれるしかないじゃん。

フランスの数学者で、哲学者、自然科学者、神学者でもあったブレーズ・パスカルは、自分の思索をカード形式で書き溜めて、彼の死後にそれが『パンセ』(瞑想録)として一冊にまとめられたんだけど、そのなかに有名な「神についての賭け」が出て来る *。

どういうことかというと。。。聖書には、罪のゆるし、永遠のいのち、天国の祝福を約束する、あわれみふかい神が存在すると、はっきり書かれている。けれど、人間の理性の能力は、どこかしら壊れているから、神の存在を認識できない。神がいるのかどうか、人間には、わからない、なんとも言えない。確かめるすべが、人間には、ないのだ。

じゃあ、どうしたらいいのか? パスカルは「神がいるほうに賭けるしかないだろ」と言う。なぜなら、神はいない、と思って行動したあげく、最終的に神がいる、ということになった場合、ハズレのインパクトが大きすぎるから。。。

今日の聖書の言葉。

主を畏れることは知恵の初め 聖なる方を知ることは分別の初め。
箴言 9:10 新共同訳

安心安全のために、人間は、ほんと、いろんなことを、あらかじめ考慮に入れようとする。でもね。。。UFOより先に心配するものがあると思う。

神でしょ。神。

だいいち、神と友だちになっておけば、宇宙人とか、こわくないし。

しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。 わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、 高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。
‭‭ローマの信徒への手紙‬ ‭8:37-39‬ ‭新共同訳‬‬

註)
パスカル『パンセ』第233節


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