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クラブハウス初体験しました!その報告(でも報告になってないという)

昨日はじめて招待制の音声アプリケーション「クラブハウス」を体験した。

招待してくださった〇〇さん、ありがとうございました。

で、聞かせてもらったトークライブは、自分が過去に関わった「ある問題」について、それが全然終息なんかしておらず現在進行形の問題なんだよ、ということを初心者にもわかるように語る、というお題だったんだけど。。。

えーと、なんのことか、わからないひとには、わかりませんよね? 

まあ、これ以上は説明することもできないんだけどさ。。。

で、主催者のお二人のトークを1時間以上じっくり聞かせていただきながら、ほんと、なんか、心がじーんとした。。。

この感覚は、なんだろうね。

エネミーが絶対はいって来れない防壁に囲まれた小さな広場で、澄み渡った星空を見上げながら、気のおける仲間たちと焚火を囲んでおしゃべりをしているような感覚。。。

炉辺の語り、とでも言ったらいいんだろうか。

そんな感じだった。

この安心感というのは、クラブハウスの規約が与えていてくれるものなのかもしれないねー。

クラブハウスでは、録音禁止。

また、その中で語られたことを外部に持ち出すことも禁止なんだ。

あらゆるものが検閲され、あらゆることが裁判沙汰に持ち込まれる現代の社会において、こんなふうに「表現行為」ができる空間があろうとは。。。

ちょっと想像もしてみなかったことだった。

今日の聖書の言葉。

主は恵み深く、苦しみの日には砦となり 主に身を寄せる者を御心に留められる。
ナホム書 1:7 新共同訳

クラブハウスを1回体験しただけで、えー、なに、この炉辺語り、いやされるー、なんて思っちゃうんだから、永遠に破られることのない「神」という砦のなかで過ごす時間は、どれほど素晴らしいものだろうか。

そして、神という砦のなかでの炉辺語りの素晴らしさを想像しながら、いまさらのように気が付いたんだ。。。

自分が必要としているのは、こういうセキュアーな感覚、安心感だったんだなあ、って。

しかしね、やっぱり、過去の出来事からのリハビリはまだ終わっていない気がする。

なので、じゃあこの際自分がクラブハウスで何かしゃべれるか、と言うと、まだぜんぜんそこには行けない。

コワくて行けない感が、ある。

リハビリがあとどれぐらい続くのかは、わからない。

まあ、このまま天国での炉辺の語りに移行してしまうというのも、悪くはないよなあ、とも思っているんだけどさ。

以上、クラブハウスの報告になりそうでなっていないご報告でした。

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